第4章 戦後復興期
第5節 渡慶次集落碁盤型道路完工までの歩み
推進委員会は幅員の足りない道路に面した地権者への合意取り付け作業を連日繰り返し、多くの関係者の理解を得ることができた。しかし、ここでも完璧な合意形成には至らなかった。そのため、計画変更を余儀なくされた箇所もあった。事業内容は次の通りである。
読谷村の農業農村整備事業実施状況(平成6年4月現在)
番号 | 地区名 | 受益面積 | 事業名 | 事業量 | 工期 | 総事業費 |
1 | 座喜味 | 13.0ha | 農村基盤総合 整備事業 |
ほ場整備 13.0ha 農業用排水路 1,399m 農道 433m 農業集落道 3,205m 農業集落排水路 698m |
S51〜57 | 434,172千円 |
2 | 渡具知 | 24ha | 土地改良総合 整備事業 |
農道 L=922m 区画整理 A=24ha |
S54〜58 | 258,070千円 |
3 | 長浜 | 280ha | 県営かんがい 排水事業 |
ダム1基 用水機場1式 管水路 5,865m |
S54〜H7 | 7,819,030千円 |
4 | 西部連道 | 77.6ha | 土地改良総合 整備事業 |
農道 L=2,140m 区画整理 A=77ha |
S55〜63 | 867,000千円 |
5 | 渡具知 | 21.9ha | 団体営かんがい 排水事業 |
畑かん A=21.9ha | S57〜60 | 151,000千円 |
番号 | 地区名 | 受益面積 | 事業名 | 事業量 | 工期 | 総事業費 |
6 | 渡慶次 | 26.0ha | 土地改良総合 整備事業 |
区画整理 A=26ha 農道 L=700m |
S54〜H元 | 216,000千円 |
7 | 浜屋 | 14.0ha | 〃 | 区画整理 A=14ha 農道 L=885m |
S58〜63 | 169,000千円 |
8 | 荻川 | 33.0ha | 〃 | 区画整理 A=33ha 農道 L=1,665m |
S59〜H6 | 424,000千円 |
9 | 波平 | 46.0ha | 県営畑地帯 土地改良事業 |
区画整理 A=46ha 農道 L=1,180m |
S62〜H6 | 725,403千円 |
10 | 渡慶次 | 農村基盤総合 整備事業 |
農業用水 520m 農道整備 420m 農業集落道整備 3,802m 農村公園(2カ所) 3,900m2 農業多目的集会施設 (1カ所) |
S63〜H5 | 411,000千円 | |
11 | 宇座 | 26.0ha | 土地改良総合 整備事業 |
区画整理 A=26ha | H1〜4 | 160,000千円 |
12 | 池ン当 | 12.7ha | 〃 | 区画整理 A=12.7ha | H4〜7 | 153,000千円 |
13 | 西部連道 | 77ha | 県営かんがい 排水事業 |
畑かん A=77ha | H5〜 | 469,300千円 |
14 | 宇座 | 26ha | 〃 | 畑かん A=26ha | H6〜 | 350,000千円 |
15 | 荻川 | 33ha | 団体営かんがい 排水事業 |
畑かん A=33ha | H5〜 | 204,000千円 |
16 | 渡慶次 | 26ha | 団体営土地改良施設 整備事業 |
畑かん A=26ha 暗渠 A=8.8ha |
H6〜 | 205,000千円 |
17 | 中前原 | 団体営農道 整備事業 |
農道整備814m | H4〜6 | 86,900千円 | |
18 | 瀬名波 | 農村基盤総合 整備事業 |
農道整備 775m 農道集落道 3,360m 農村公園(3カ所) 農業集落多目的 集落施設(1カ所) 定住化促進施設 1,570m |
H6〜 | 550,000千円 | |
合計 | 13,697,875千円 |
完工まで6年の歳月と総事業費4億1千万円を投入し、1994年(平成6)に完工し、同年5月15日祝賀会を盛大に開催している。
以下50%補助事業や農村基盤総合整備事業導入で完備された道路を次頁に図示する。
路線名 | 供用開始 | 起点 | 終点 | 幅員(m) | 延長(m) | |
1 | 渡慶次〜波平線 | S57.3.30 | 渡慶次223 | 波平1618-3 | 5.15〜16.5 | 2,314.0 |
2 | 渡慶次〜儀間線 | S57.3.30 S61.1.23 |
長浜1405-2 | 渡慶次791 | 5.6〜7.2 | 742.0 |
3 | 渡慶次〜瀬名波線 | S57.3.30 | 渡慶次246 | 瀬名波618 | 5.4 | 448.0 |
4 | 長浜後原〜渡慶次南風原線 | S57.3.30 | 長浜1775 | 渡慶次1105 | 5.0 | 870.0 |
5 | 渡慶次1号線 | S57.10.8 | 渡慶次126 | 儀間65 | 5.0 | 412.0 |
6 | 渡慶次2号線 | S59.2.28 | 渡慶次1 | 渡慶次127 | 4.2 | 236.0 |
7 | 渡慶次3号線 | S59.2.28 | 渡慶次6 | 渡慶次225 | 4.2 | 401.0 |
8 | 渡慶次4号線 | S63.3.1 | 渡慶次1161-2 | 渡慶次1195-1 | 5.0 | 385.0 |
9 | 渡慶次5号線 | H8.3.21 | 渡慶次14 | 渡慶次47 | 4.2〜4.7 | 95.0 |
10 | 渡慶次6号線 | H8.3.21 | 渡慶次46 | 渡慶次42 | 4.0〜4.7 | 131.0 |
11 | 渡慶次7号線 | H8.3.21 | 渡慶次112 | 渡慶次100 | 4.1〜5.0 | 320.0 |
12 | 渡慶次8号線 | H8.3.21 | 渡慶次140 | 渡慶次131 | 3.8〜4.5 | 223.0 |
13 | 渡慶次9号線 | H8.3.21 | 渡慶次168-1 | 渡慶次161 | 4.3〜5.2 | 203.0 |
14 | 渡慶次10号線 | H8.3.21 | 渡慶次171 | 渡慶次152 | 4.0〜6.0 | 204.0 |
15 | 渡慶次11号線 | H8.3.21 | 渡慶次190 | 渡慶次196 | 4.1〜4.8 | 104.0 |
16 | 渡慶次12号線 | H8.3.21 | 渡慶次215 | 渡慶次208 | 4.1〜5.2 | 85.0 |
17 | 渡慶次13号線 | H8.3.21 | 渡慶次217 | 渡慶次222 | 4.1〜5.0 | 82.0 |
18 | 渡慶次14号線 | H8.3.21 | 渡慶次72 | 渡慶次70 | 4.0〜4.5 | 63.0 |
19 | 渡慶次15号線 | H8.3.21 | 渡慶次69 | 渡慶次65 | 3.6〜4.5 | 93.0 |
20 | 渡慶次16号線 | H8.3.21 | 渡慶次159 | 渡慶次202-1 | 4.1〜5.0 | 73.0 |
21 | 渡慶次17号線 | H8.3.21 | 渡慶次1129-5 | 渡慶次1123-1 | 4.1〜4.4 | 170.0 |
22 | 渡慶次18号線 | H8.3.21 | 渡慶次1130-1 | 渡慶次1138 | 4.2〜5.0 | 174.0 |
23 | 渡慶次19号線 | H8.3.21 | 渡慶次1187 | 渡慶次1180-1 | 4.2〜4.7 | 133.0 |
24 | 渡慶次20号線 | H8.3.21 | 渡慶次1178-3 | 渡慶次1179-4 | 4.2〜5.0 | 118.0 |
25 | 長浜〜渡慶次境界線 | H8.3.21 | 渡慶次1207-1 | 渡慶次1173-1 | 4.1〜4.3 | 236.0 |
26 | 長浜白石原〜渡慶次寺原線 | H8.3.21 | 長浜1408-3 | 渡慶次1171-1 | 4.1〜5.9 | 185.0 |
27 | 瀬名波1号線 | H10.3.26 | 渡慶次229-1 | 瀬名波76 | 4.0〜8.0 | 172.0 |
4 コミュニティ資金活用道路
道路の幅員及び長さが足りないために本事業導入が出来ないところが3箇所あった。時の区長は、コミュニティ資金活用で整備しようと要請を行っている。
これが次の道路である。
起点→終点
1996年(平成8)11月1日
仲村※※→山内※※
1997年(平成9)10月6日
山城※※→儀間※※
1998年(平成10)9月
与那覇※※→儀間※※
1999年(平成11)10月
玉城※※→山田※※
2005年(平成17)11月
与那覇※※→大城※※→(現在の)雑貨店(古波鮫)
これが次の道路である。
起点→終点
1996年(平成8)11月1日
仲村※※→山内※※
1997年(平成9)10月6日
山城※※→儀間※※
1998年(平成10)9月
与那覇※※→儀間※※
1999年(平成11)10月
玉城※※→山田※※
2005年(平成17)11月
与那覇※※→大城※※→(現在の)雑貨店(古波鮫)
5 結び
衣食住に事欠き、日々の命をかろうじてつなぐ戦後の混乱期にありながら、集落の発展に情熱を傾注した先人・先輩の存在は『渡慶次の歩み』に燦然と輝いている。いち早く「興隆会」を立ち上げ、「集落の復興発展は道路の整備から」と当時の世相からは思いも寄らない奇抜な発想は渡慶次ならではのことである。芋2〜3個と少しの野菜で雑炊を作り、一家の食事を賄う時勢でこのような崇高なロマンが生まれる背景には強靱な渡慶次魂がある。
当時、毎晩のごとく語られたであろう私達の先人・先輩たち、誰ひとり予想だにしなかったであろう今日の車社会の到来。それを予期した如く、3間・2間2尺の設定。今日の消防法も見据えた感すらおぼえる。先見の明!!この一言に尽きる。
しかも最大限直線道路にしようとの企画はおのずと大きな課題が生ずるのは明白である。幾多の課題や障害が存在しようとも、討議に討議を重ね1つ1つ乗り越える腰の強さ、根気力も特筆すべきである。
区民や青年会の労力を中心に碁盤型拡張工事の完工までに8年、舗装工事完工まで60年近く連綿と受け継がれてきた夢のリレーが1本の道路に託されている。
『戦後、渡慶次の歴史は道路の歴史である。』
曰く『私どもは渡慶次魂を継承し、住環境整備に努力する責務がある。』
当時、毎晩のごとく語られたであろう私達の先人・先輩たち、誰ひとり予想だにしなかったであろう今日の車社会の到来。それを予期した如く、3間・2間2尺の設定。今日の消防法も見据えた感すらおぼえる。先見の明!!この一言に尽きる。
しかも最大限直線道路にしようとの企画はおのずと大きな課題が生ずるのは明白である。幾多の課題や障害が存在しようとも、討議に討議を重ね1つ1つ乗り越える腰の強さ、根気力も特筆すべきである。
区民や青年会の労力を中心に碁盤型拡張工事の完工までに8年、舗装工事完工まで60年近く連綿と受け継がれてきた夢のリレーが1本の道路に託されている。
『戦後、渡慶次の歴史は道路の歴史である。』
曰く『私どもは渡慶次魂を継承し、住環境整備に努力する責務がある。』