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第7章 むらづくり―各種団体の活動―
第9節 渡慶次山芋づくり同好会
1 渡慶次山芋づくり同好会の結成
1995年(平成7)の2月、知花※※と新垣※※が字波平の1930年(昭和5)生まれの同年生数名で親睦を図る目的で毎年旧正月前に山芋スーブ(重量勝負)を開催しているとの情報を入手した。当渡慶次区でも農業従事者をはじめ、これから定年を迎える者を中心に同じようなものを組織化できないものかと与那覇※※に相談を持ちかけた。
その相談を受けて与那覇※※は、当時の読谷村役場の安田※※助役に相談を持ちかけたところ、次のことについてアドバイスを得た。
都会では、定年退職者が自分の居場所を見つけられず、孤独な日々を送る者が多いと聞いているが、幸いに当区には畑地などの空間が多いので、生きがいづくりと融和を図るのにうってつけだと考える。
しかし、組織化については次の点に留意して欲しい。ア活発で長続きするためには会員勧誘は慎重にすること。イ共同使用する土作り用のススキを切断するカッターを購入すること。ウ自主的財源で運営すること等であった。
即刻結成に向けて動き出した。まず執行部体制を整え、会長に与那覇※※、事務局に知花※※・新垣※※が内定した。会員募集の趣意書等を配り、1995年(平成7)3月5日、渡慶次公民館において結成総会を行った(結成時17名)。
その相談を受けて与那覇※※は、当時の読谷村役場の安田※※助役に相談を持ちかけたところ、次のことについてアドバイスを得た。
都会では、定年退職者が自分の居場所を見つけられず、孤独な日々を送る者が多いと聞いているが、幸いに当区には畑地などの空間が多いので、生きがいづくりと融和を図るのにうってつけだと考える。
しかし、組織化については次の点に留意して欲しい。ア活発で長続きするためには会員勧誘は慎重にすること。イ共同使用する土作り用のススキを切断するカッターを購入すること。ウ自主的財源で運営すること等であった。
即刻結成に向けて動き出した。まず執行部体制を整え、会長に与那覇※※、事務局に知花※※・新垣※※が内定した。会員募集の趣意書等を配り、1995年(平成7)3月5日、渡慶次公民館において結成総会を行った(結成時17名)。
2 活動の経過
1995年(平成7)山芋植え付けの通知及び植付け方法等の資料を会員へ発送した。会員からの種芋の確保が困難で、役員で対応して欲しいとの声が上がったが、先進地域である石川市(現うるま市石川)に問い合わせたところ、1996年度(平成8)の山芋スーブまで待って欲しいとのことだった。第1回山芋スーブでは大城※※が2株で64.9sで優勝しているが、ほとんどの会員が種芋が入手できなかったため振るわなかった。
そこで、1996年(平成8)当時の石川市伊波区の区長を通して総重量401.7sを購入、全会員に配布して2回目の植え付けを始めた。
2回目からの山芋スーブは毎年12月の第2日曜日と定め、本格的に活動を開始するようになった。
1997年(平成9)11月、1か年の事業計画を作成し、初起し、農休日設定、視察研修を定例化することを決定している。
1998年(平成10)第4回山芋スーブには、村内に初めて立看板を設置し、字内外への啓蒙活動にも力を注いだ。
(本書183頁コラム参照)
1999年(平成11)9月、結成5周年の取り組みについて話し合い、婦人会と提携して山芋を食材にした山芋加工展示会を開催し、出品点数71点の盛況でいよいよ組織の広がりを見せた。
○5周年事業山芋加工(食品)コンテストの入賞者
山芋づくり同好会長賞
玉城※※(1班)
「山芋とササミのみそ巻き揚げ」
婦人会長賞
福地※※(4班)「山芋モチ」
審査を終えて
農業同好会長賞
嘉数※※(5班)「山芋そば」
特別賞
玉城※※(1班)「オードブル」
アイディア賞
山内※※(7班)
「高齢者向けおこわ」
2000年(平成12)与那覇※※会長が勇退し、与那覇※※会長が承認され、心機一転例の立て看にのぼり旗を購入して一段とにぎわいを見せた。
この時より、石川市主催の全島山芋スーブへも参加し、玉城※※が136sで3位に入賞。また与那覇※※がみほそ賞、呉屋※※が市町村友好賞を受賞している。以来、字渡慶次の山芋スーブでの10位までの入賞者は毎回全島山芋スーブに参加し優秀な成績を収めている。ちなみに、第3回には玉城※※が市町村友好賞を受賞、第4回には玉城※※がカーギ(きれいな芋)スーブで2位入賞。第5回に大城※※がカーギスーブで2位入賞。第6回には玉城※※が211.9sで参加し、優勝。
掘り出し終えて、ほっと一息
第7回には玉城※※がカーギスーブで3位入賞するなど、毎回入選者を出している。
2001年(平成13)第7回の山芋スーブより1株の重量スーブになり、栽培技術等の講習会も頻繁に行なわれている。
2004年(平成16)、同好会結成10周年の事業の持ち方についての拡大役員会を立ち上げ、その準備に取りかかった。組織をより確固たるものにし、村内外への波及効果も増幅する中、次の点が企画された。
(1) フォーラムの開催(山芋づくりの発展をめざして)
コーディネーター
新里※※(沖縄有機株式会社相談役)
パネラー
比嘉※※
(沖縄県農林水産部中部農業改良普及センター作物畜産普及課長)
城間※※(読谷村役場農業推進課職員)
10周年記念フォーラムから
伊波※※(石川市役所産業振興課長)
當間※※(JA読谷支店営農指導員)
山城※※(山芋生産者代表)
2004年(平成16)10月5日、字内をはじめ村内外から100名余の参加の下に、新里コーディネーターによりそれぞれの立場からの提起がされ、約2時間半にわたるフォーラムが開催された。フロアーからも多くの質疑が出され、活発な討議ながされた。各パネラーから提起された事項を要約すると次の通りである。
城間は出荷が少ないことや栽培面積がはっきり把握されていないことを指摘し、「流通、栽培、保存法などが確立されれば有望な作物になる」と述べた。
當間は「山芋の持つ滋養強壮など栄養面を強調しながら、加工品に重点を置いてはどうか」と提案した。
伊波は地域で盛んだった山芋の大きさを競う「勝負(スーブ)」を市規模で行なう大会に発展させ、行政の支援で特産品づくりを推進している取り組みを紹介した。
比嘉は「山芋の持つ効能をいかに消費者に訴え、付加価値を付けるかがキーポイントになる」と指摘した。
山城は会の活動内容を報告した。
最後にコーディネーターの新里は「今は勝負が中心だが、消費者が購入しやすい大きさなどニーズに応えることが求められる。普及していけば沖縄の特産品として発展する可能性がある」と述べた。
10周年記念祝賀会から
(2) 10周年記念誌
編集委員
委員長:山城※※
委 員:玉城※※、与那覇※※
伊佐※※
短時間で、かつ経費の捻出に苦労しながら、会員の熱意と協力により約30万円余の浄財が集り、無事発刊することが出来た。
(3) 山芋加工食品展示会開催
婦人会に開催要項を配布、5周年を上回る応募があり、山芋加工食品展示会は成功裏に終えることができた。審査委員長を務める中村※※(沖縄県中部農業改良普及センター農村生活振興課主任技師)の講評もあり、参加者への今後の大きな示唆を与えた。入賞者は次のとおりである。
山芋づくり同好会長賞
与那覇※※(4班)「山芋御膳」
美味しそうな「山芋御膳」
婦人会長賞
玉城※※(3班)「山芋コロッケ」
渡慶次区長賞
玉城※※(4班)「山芋ナントゥ」
特別賞
儀間※※(3班)「山芋てんぷら」
特別賞
福地※※(7班)
「ミミガー入り山芋ザクザク」
「ミミガー入り山芋ザクザク」
そこで、1996年(平成8)当時の石川市伊波区の区長を通して総重量401.7sを購入、全会員に配布して2回目の植え付けを始めた。
2回目からの山芋スーブは毎年12月の第2日曜日と定め、本格的に活動を開始するようになった。
1997年(平成9)11月、1か年の事業計画を作成し、初起し、農休日設定、視察研修を定例化することを決定している。
1998年(平成10)第4回山芋スーブには、村内に初めて立看板を設置し、字内外への啓蒙活動にも力を注いだ。
(本書183頁コラム参照)
1999年(平成11)9月、結成5周年の取り組みについて話し合い、婦人会と提携して山芋を食材にした山芋加工展示会を開催し、出品点数71点の盛況でいよいよ組織の広がりを見せた。
○5周年事業山芋加工(食品)コンテストの入賞者
山芋づくり同好会長賞
玉城※※(1班)
「山芋とササミのみそ巻き揚げ」
婦人会長賞
福地※※(4班)「山芋モチ」
審査を終えて
農業同好会長賞
嘉数※※(5班)「山芋そば」
特別賞
玉城※※(1班)「オードブル」
アイディア賞
山内※※(7班)
「高齢者向けおこわ」
2000年(平成12)与那覇※※会長が勇退し、与那覇※※会長が承認され、心機一転例の立て看にのぼり旗を購入して一段とにぎわいを見せた。
この時より、石川市主催の全島山芋スーブへも参加し、玉城※※が136sで3位に入賞。また与那覇※※がみほそ賞、呉屋※※が市町村友好賞を受賞している。以来、字渡慶次の山芋スーブでの10位までの入賞者は毎回全島山芋スーブに参加し優秀な成績を収めている。ちなみに、第3回には玉城※※が市町村友好賞を受賞、第4回には玉城※※がカーギ(きれいな芋)スーブで2位入賞。第5回に大城※※がカーギスーブで2位入賞。第6回には玉城※※が211.9sで参加し、優勝。
掘り出し終えて、ほっと一息
第7回には玉城※※がカーギスーブで3位入賞するなど、毎回入選者を出している。
2001年(平成13)第7回の山芋スーブより1株の重量スーブになり、栽培技術等の講習会も頻繁に行なわれている。
2004年(平成16)、同好会結成10周年の事業の持ち方についての拡大役員会を立ち上げ、その準備に取りかかった。組織をより確固たるものにし、村内外への波及効果も増幅する中、次の点が企画された。
(1) フォーラムの開催(山芋づくりの発展をめざして)
コーディネーター
新里※※(沖縄有機株式会社相談役)
パネラー
比嘉※※
(沖縄県農林水産部中部農業改良普及センター作物畜産普及課長)
城間※※(読谷村役場農業推進課職員)
10周年記念フォーラムから
伊波※※(石川市役所産業振興課長)
當間※※(JA読谷支店営農指導員)
山城※※(山芋生産者代表)
2004年(平成16)10月5日、字内をはじめ村内外から100名余の参加の下に、新里コーディネーターによりそれぞれの立場からの提起がされ、約2時間半にわたるフォーラムが開催された。フロアーからも多くの質疑が出され、活発な討議ながされた。各パネラーから提起された事項を要約すると次の通りである。
城間は出荷が少ないことや栽培面積がはっきり把握されていないことを指摘し、「流通、栽培、保存法などが確立されれば有望な作物になる」と述べた。
當間は「山芋の持つ滋養強壮など栄養面を強調しながら、加工品に重点を置いてはどうか」と提案した。
伊波は地域で盛んだった山芋の大きさを競う「勝負(スーブ)」を市規模で行なう大会に発展させ、行政の支援で特産品づくりを推進している取り組みを紹介した。
比嘉は「山芋の持つ効能をいかに消費者に訴え、付加価値を付けるかがキーポイントになる」と指摘した。
山城は会の活動内容を報告した。
最後にコーディネーターの新里は「今は勝負が中心だが、消費者が購入しやすい大きさなどニーズに応えることが求められる。普及していけば沖縄の特産品として発展する可能性がある」と述べた。
10周年記念祝賀会から
(2) 10周年記念誌
編集委員
委員長:山城※※
委 員:玉城※※、与那覇※※
伊佐※※
短時間で、かつ経費の捻出に苦労しながら、会員の熱意と協力により約30万円余の浄財が集り、無事発刊することが出来た。
(3) 山芋加工食品展示会開催
婦人会に開催要項を配布、5周年を上回る応募があり、山芋加工食品展示会は成功裏に終えることができた。審査委員長を務める中村※※(沖縄県中部農業改良普及センター農村生活振興課主任技師)の講評もあり、参加者への今後の大きな示唆を与えた。入賞者は次のとおりである。
山芋づくり同好会長賞
与那覇※※(4班)「山芋御膳」
美味しそうな「山芋御膳」
婦人会長賞
玉城※※(3班)「山芋コロッケ」
渡慶次区長賞
玉城※※(4班)「山芋ナントゥ」
特別賞
儀間※※(3班)「山芋てんぷら」
特別賞
福地※※(7班)
「ミミガー入り山芋ザクザク」
「ミミガー入り山芋ザクザク」