続 渡慶次の歩み
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第1章 渡慶次の概況
集落センター
 1983年(昭和58) 
 鉄筋コンクリート造
 489.89 m2(約148坪)渡慶次180番地
 
010093-現公民館
現渡慶次集落センター玄関
 
 1979年(昭和54)2月、与那覇真一区長(西門(イリジョー))は、村長へ公民館再建を願い出て、国・県の補助事業について説明を受けた。村長はその旨を沖縄総合事務局等へ要請した。交渉の結果、1982年(昭和57)度予算に計上されるとの通達をうけた。
 同年4月、区長は早速行政委員会を招集し、公民館建設について審議を求め、全会一致で建設するよう議決され、次いで戸主会でも承認された。
 区長は先ず資金計画として区民の負担額をいくらにするか、その徴収方法等について協議すべく行政委員会を招集した。区長としては、いざ造るという時点になって、一度に割当徴収するのは難しく、また酷でもあるとの判断から、少しずつ積立てをしていこうと考えていた。そこで、積立金造成の件と字の財政積立基金から新公民館建設積立金への繰入額をいくらにするかの2件を提案した。この提案に対し異議を唱える者も多かった。その主な内容は、区民の負担を避けるために、財政積立基金を活用するべきであるということと、加えて、尾頓川山の売却代金の一部を建設資金に充ててはどうかというものであった。この意見に対し区長は次のように説明した。
 
 字では毎年、新年度予算において財政積立基金より歳入に繰り入れ、区民の負担額を総予算の20%程度におさえ、その負担額を軽減している。財政積立基金には尾頓川山の賃貸料があるが、この尾頓川山も近いうち軍用地から解放されるという噂がある。この賃貸料が無くなると今までのように当初予算への繰り入れは近い将来不可能な状態になる。結果的には区民の負担額は現在の3倍か4倍になる。あとで急激に区民の負担額を増やさないよう調整するのが得策では無かろうか。
 
というものであった。
 なお、尾頓川山の売却代金は区民との約束で字の将来のために活用することになっているので、公民館建設資金とは別であるという説明がなされた。この日の行政委員会では、この案件は審議未了となり、次回へ持ち越された。
 次の行政委員会の審議では、全員がその意とするところを理解し、全会一致で前述の区長の提案が了承された。
 区民の積立金については、1戸あたり400円を部落負担金徴収と合わせて徴収し、1982年(昭和57)度末までには500万円をめどに積立てることとし、次いで財政積立基金からの繰り入れ額は最高1000万円と決定した。
 この農村集落センターについては、別途、農業近代化資金等の借入れができる制度があることを知り、それを活用するか否かについて、さらに行政委員会で審議することとなった。その結果、農業近代化資金の最高額3000万円を借りることを決定し、戸主会でも承認された。
 集落センターの敷地変更について、廃道の件も含めてその経緯を述べておくことにする。
 当初、現在のゲートボール場のある敷地に集落センターを建てる計画で、用地にかかる道路や里道*等の廃道申請*をした。具体的には、次頁の図中の西知花(イリチバナ)の西側の道路(A)と、西知花西から当下庫理(トーチャグイ)に通じる道路(B)、前与野比(メーユヌビ)から福地に通じる道路(C)は全部廃道申請をし、これに変わる道路として、知花の東の道路を拡張整備した。
 そうしたこともふまえて、何回となく防衛施設局との折衝を重ね、瀬名波通信隊(FBIS)も現地調査をしてもらい、極力、現ゲートボール場敷地を共同使用できるようにと要請してきた。
 しかし、軍用地の開放問題も絡んで進展はなく、その上、共同使用の場合は、煩わしい条件も付すということになり、次第に諦めざるを得ない状況に至った。
 こうした状況に鑑み、県は共同使用の許可が下りないので建設場所を別に変更するように指示してきた。そこで字としてもその指示を受け入れ、建設場所の変更を決定し、これまで廃道申請をしてきた道路部分の申請を取り下げ、現在の集落センター敷地にかかわる道路だけを再度廃道申請したのである。なお、この道路は有償で払い下げ使用した(1 m2 当り3,330円で267,600円)。
 集落センターの建設は、農家戸数に応じてその規模や面積等の基準が決められているが、この機会にとのことで、補助対象外だった研修室や屋外トイレも自己負担で追加、建設した。
 起工式は1982年(昭和57)10月21日に行われたが、着工間もなく、瀬名波FBISの一部、当初の建設予定地(現ゲートボール場)が開放される通知が届き区民は愕然とした。
 
*里道:国道、県道以外の道路の旧称で、村の中のあぜ道などのこと。復帰の際、現行法に基づき地番がついていないこれらの里道は国有地とされたが、元来それらは地域のものであったため、申請をすれば払い下げることができる。
*廃道申請:実際に道路として使用している土地を、公共のために使用するということで道路としての使用の廃止を願い出ること。
 
渡慶次集落センター周辺道路 廃道申請・拡張工事箇所地図
 (『人和定風水』p106・107をもとに作成)
◎[図] 本編参照
 
○集落センター建築資金計画書
 
歳入の部
項目 金額(千円) 備考
国庫補助金 40,000 補助対象6千万円の3分の2
(6千万円−4千万円)×0.25
農業近代化資金
村補助金 5,000
借入金 30,000
自己負担金 21,719
寄付金 8,000
合計 104,719
 
歳出の部
項目 金額(千円) 備考
建築工事費 53,740  
電気機械設備工事費 33,360
実施設計費 2,812
備品購入費 7,401 会議用テーブル、収納庫、複写機
テレビ、冷蔵庫、緞帳
解体及びプレハブ工事費 3,450  
諸経費 3,956 記念誌、落成費用
合計 104,719  
補助対象事業 60,000千円
 内訳  国補助 40,000千円  村補助 5,000千円  地元負担 15,000千円

 
○渡慶次集落センター概要
 
 集落センター
 農業経営の合理化、農業従事者の生活改善等を図るため農業集落内に多目的施設として研修、協議、研究、給食、託児、健康診断等を行うための建物及びこれらの附帯施設とする。
 
 工事概要
1.位置
  読谷村字渡慶次180,197番地
2.敷地面積 2,280.39 m2(689.81坪)
  構造:鉄筋コンクリート造
  建築面積 445.079 m2(134.63坪)
  延床面積 419.964 m2(127坪)
3.工期
  (自)1982年(昭和57)10月19日〜
  (至)1983年(昭和58)2月28日
4.設計者 近代建築総合設計事務所
5.施工者
  建築工事 金信組
  電気設備工事 安田電気
  機械設備工事 三友電気水道工事社
6.事業費内訳
  総事業費 ¥59,795,000
  建築工事 ¥43,000,000
  電気設備工事 ¥9,100,000
  機械設備工事 ¥3,600,000
  附帯設備 ¥909,000
  備品購入 ¥936,000
  実施設計料 ¥2,250,000
7.集落センター図面(下記参照)
 
 追加工事など
1991年(平成3)7月
 農村基盤総合整備事業第三期農村
 公園起工式
 11月 農村公園完了
1993年(平成5)9月
 屋外ステージ・ドーム完成
1996年(平成8)7月
 ホールのガスクーラー設置
1998年(平成10)4月
 ホールの間仕切り工事(5月完成)
 
資金内訳
工種 事業費 国庫補助金 村補助金 地元負担金
建築工事 43,000,000 28,667,000 3,583,000 10,750,000
電気設備工事 9,100,000 6,066,000 758,000 2,276,000
機械設備工事 3,600,000 2,400,000 300,000 900,000
附帯設備 909,000 606,000 75,000 228,000
備品購入 936,000 624,000 78,000 234,000
実施設計 2,250,000 1,500,000 187,000 563,000
59,795,000 39,863,000 4,981,000 14,951,000
 
010098-集落センター平面図
 
 

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