続 渡慶次の歩み
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第5章 渡慶次区民の移民・出稼ぎ

第3節 今後の関わり

 2008年(平成20)はブラジル、アルゼンチン移民が100周年を迎え、各地で記念式典が行われる節目の年であった。それまでの間に、世界のウチナーンチュ大会が開かれるなど、沖縄から希望を抱いて世界へ雄飛した県出身者と郷土沖縄との関わりは年々強くなっている。
 読谷村でも1993年度(平成5)より読谷村海外移住者子弟研修生受入事業を実施し、人材育成や国際交流を通して読谷村と移住国の友好親善に努めている。これまでに20名以上の研修生が読谷村での研修を行っているが、その中には渡慶次出身者の子弟や縁者も数名含まれている。また渡慶次でも研修生を受け入れ、地域活動への参加を促すなど積極的な関わりが持たれている。
以下は、読谷村の海外移住者子弟研修に参加した研修生の感想である。前掲の『ブラジル読谷村人会のあゆみ』より渡慶次の関係者を抜粋し、文章については一部修正加筆した。
 
1995年度研修生
山内※※(1974年生)
ブラジル マットグロッソ州クヤバ市
両親 父親 山内※※ 字渡慶次出身
   母親 ※※ 具志川市出身
身元引受人 知花※※ 字高志保
 
沖縄に来れて幸せ
−研修を終えて−

 今日はお忙しい中、私たちのために集まっていただきありがとうございます。皆様のおかげで無事研修を終わることができました。
 私は将来、コンピュータの仕事がしたいと思っていました。両親の故郷でコンピュータ、日本語、琉球舞踊とたくさんのことを勉強することができましたが、3月に沖縄に来たときは、不安でいっぱいでした。無事に学校まで行くことが出来るのかな、先生は厳しくないかな、ちゃんと覚えることが出来るか毎日心配でした。だけど、皆様のおかげで今では日本語も覚えました。少しですが漢字も書けます。コンピュータも使えるようになりました。沖縄に来ることができて本当に幸せです。
 ブラジルに帰ったら、大学に入学してコンピュータの勉強を続けていきたいと思っています。
 沖縄に来る機会を下さった山内村長をはじめ、役所の皆さん、一生懸命に教えていただいた学校の先生方、本当にありがとうございました。一生忘れることができない大切な思い出が出来ました。
 
1996年度研修生
儀間※※(1976年生)
ブラジル サンパウロ市
両親 父親 儀間※※ 字渡慶次出身
   母親 ※※ 金武町出身
身元引受人 儀間※※ 字渡慶次
 
夢を求めて沖縄へ
−研修を終えて−

 私は沖縄で生まれましたが、1歳の時に両親と共にブラジルのサンパウロ市に移住し、そこで生活しています。
 私は中学生のときから沖縄に行って勉強したり自分の古里のことを知りたいという夢がありました。でもそれはできることではない、ありえない夢だと思っていましたが、ちょうどそのときに読谷村が行っている海外移住者子弟研修生制度の話があり、この制度は、自分が希望したことにあっていて、とてもいいチャンスと思い、すぐ大学に一年間の休学をお願いし、3月26日にブラジルを出発しました。
研修を通して視野が広がる
 沖縄にくる前は、日本語とコンピュータを習うことを計画していました。でも沖縄での半年間の研修で色々な経験をしたことが信じられないです。本当に沖縄ではたくさん思い出ができました。
 沖縄についた時は、本当に何でも新しく珍しく感じることがたくさんありました。ブラジルとは違い、治安も安定していて、最初の頃は逆に怖く感じました。でも今では、沖縄で半年間の生活をしてなれてしまったので、沖縄人になったと思います。
 子どもの時から自分の古里のことを知りたかった望みが、私の両親やそして読谷村のお陰で実現でき、皆様に感謝しています。
 私は、日本語やコンピュータ、沖縄の文化のことなどたくさんのことを習いました。沖縄の普段の生活と、沖縄の人たちの考え方などがわかってきました。ブラジルとの生活習慣の違いや、自分自身でいい点・悪い点の比較をしたりしました。
 半年の研修を通して自分で感じたことがあります。それは、私の考え方や行動がもっともっと広くなったことです。それにもう一つ勉強になったことは、いつも人生にチャンスがあったら、このチャンスを逃がさないために行動を起こし、一生懸命に頑張ってモノにしなければならないということです。何事にも頑張れば何でもできます。個人個人の責任と義務を果たさなければなりません。
 沖縄で研修したことは、全部価値があるものでした。コンピュータや沖縄の文化の勉強や生活などに接することで、とてもいい経験をしたと思っています。コンピュータでは私が全然知らなかったこと、できないことをパソコンという機械がやってくれるので本当に素晴らしいと思いました。今は素晴らしい先生方に何でも教えて頂いたので、コンピュータや日本語を習うことが自分の力でできるようになり心から感謝しています。
この経験をブラジルの皆さんへ
 コンピュータの他にも、沖縄の文化の中心を占める舞踊や三線、習字を習うことができました。
 舞踊は、歩き方や目の位置(目線)、手の形や態度(姿勢)などがとても重要で難しいです。先生や先輩が親切に教えてくれたので色々と身につけることができました。
 習字はどんな線でも書くときには簡単ではないとわかってきました。どんな字でも細かい注意が必要なのです。線の太いところや軽く進むところ、筆の持ち方などたくさん知らなければならないことを学びました。
 半年の研修は“あっと言う間”でした。6ヶ月間でできる分は頑張ったと思います。いつか私がやったことを落ち着いて考えるとしたら、とても嬉しく思うでしょう。これからも私は自分の目的に向かって頑張ります。これから大学での勉強や日本語の勉強をやり、習字の練習を少しずつやりたいと思っています。
 ブラジルに戻ったら思い出や沖縄での体験など、聞かせたいことがたくさんあります。素晴らしい沖縄のことを聞かせて、またこれから私みたいにブラジル読谷村人会の青年が研修に参加できるように頑張りたいと思っています。読谷村の研修生として私は本当に嬉しく満足しています。
 村人会の皆さんに感謝します。
 私に研修留学を励まし、送って下さったお父さんとお母さん本当にありがとうございました。
 お世話になった儀間※※おばさんはとても明るくていいおばさん。そして何でも頑張るためにやってくれたので本当に感謝しています。
 沖縄の皆様、色々と大変お世話になったので心から感謝しています。
 ほんとうにありがとうございました!MUITO OBRIGADA POR TUDO!
 
1999年度研修生
大城※※(1978年生)
ブラジル
両親 父親 大城※※
   母親 ※※
身元引受人 大城※※ 字渡慶次
 
三線・島太鼓・踊り・エイサーの楽しさ ブラジルの皆さんに伝えたい
−研修を終えて−

 沖縄はいい所です。父と母が生まれた所なので小さいときからいつも沖縄の話を聞かされていました。戦争のことも聞きました。私はブラジルに生まれました。でもウチナーンチュの気持ちを持っています。沖縄の文化を習いたかったので、研修に来ました。以前は日本語があまり分からなかったけれども、今では書いたり読んだりできます。
 研修に来たおかげで、三線や太鼓や踊り、書道、折り紙、そろばんといった沖縄や日本の文化を深く知ることができました。
 読谷の渡慶次青年会の人たちと一生懸命エイサーを練習しました。
 11月6日、7日は読谷まつりで島太鼓に出演しました。私は始めて皆さんの前で踊りました。とてもいい経験でした。11月13日に渡慶次まつりで踊りクワディーサーを踊りました。
 私が住んでいるサンパウロから海は遠いです。沖縄は海が近くてとてもきれいなので、ビーチで遊んだり泳いだりできていいと思います。
 今からもっと多くの南米の二世たちも私と同じように沖縄に研修に来た方がいいと思います。
 大城のおばさんには本当にお世話になりました。役場の担当だった儀間※※さんは、いつも私たちのことを助けてくれました。遅くまで一緒にエイサーを練習したり、ビーチやあちこちに連れていってくれました。ほんとうにありがとうございました。
 先生たちに色々な勉強を教えてもらったおかげで今は日本語が上手になりました。ありがとうございました。
 たくさん友だちができたので沖縄へ研修にきて本当によかったです。
 ヒスパニックセンターや読谷村の人たちに色々お世話になりました。帰っても沖縄のことはずっと忘れません。ありがとうございました。
 
〔参考資料の留意点〕
*「海外旅券下付表」

 明治32年から昭和16年までの海外渡航に際して日本国外務省旅券下付の記録簿。各道府県庁や警視総監から外務省へ下付明細を報告したものの綴り。
外務省には約300冊が所蔵されており、その中から沖縄関係を探し61冊にまとめられた。手作業での抽出作業であり、見落としの可能性もある。また手書きで読みづらい箇所も多く、読谷村史編集室においても確認・照合作業中の資料である。不明な点は□で表記した。
 植民地であった南洋群島や台湾、満州などの渡航者には旅券が下付されなかったため、記載がない。
 
*「引揚者給付金請求書処理表」
 引揚者給付金等支給法(昭和32年法律第109号)と引揚者等に対する特別給付金の支給に関する法律(昭和42年法律第114号)に基づいて、給付金申請をした対象者の請求書の処理表。日本の旧植民地(台湾、満州等)、旧委任統治領(南洋群島)、占領地(フィリピン、インドネシア等)からの引揚者が主な対象であった。
 在外財産の補償や給付金に対して未請求および未申告の者、法律の規定からはずれる者は対象外となり、名前が浮かんでこない。また、引き揚げの途中で死亡した者については正確な把握ができていない部分もある。
 
〔参考文献〕
『沖縄大百科事典』1983年(沖縄タイムス社)
『概説 沖縄の歴史と文化』2000年(沖縄県教育委員会)
『沖縄県の百年』2005年(金城正篤、上原兼善、秋山勝、仲地哲夫、大城将保)山川出版社
『沖縄県史 第7巻各論編6移民』1974年(沖縄県教育委員会)
『沖縄県史料 戦後2』1988年(沖縄県教育委員会)
『沖縄県史料 近代5』1992年(沖縄県教育委員会)
『沖縄県史料 近代6』1994年(沖縄県教育委員会)
『沖縄県史 資料編11』2000年(沖縄県教育委員会)
『沖縄県史 資料編17』2003年(沖縄県教育委員会)
『沖縄県史 資料編19』2005年(沖縄県教育委員会)
『金武町史』1983年(金武町)
『北谷町史編集資料11 北谷村海外移民名簿 −戦前編−』2002年(北谷町教育委員会)
『北谷町史編集資料12 北谷村海外移民名簿 −引揚者・戦後移民−』2003年(北谷町教育委員会)
『海外移住者子弟研修生受入事業 5周年記念誌』1998年(読谷村)
『海外移住者子弟研修生受入事業 10周年記念誌』2004年(読谷村)
『読谷村史 第5巻 戦時記録 上巻』2002年(読谷村役場)
「読谷村史研究資料」12、27、31〜34(読谷村史編集室)
『歓迎 世界のユンタンザンチュ』2006年(読谷村)
『ボリビア・コロニア沖縄入植25周年誌』1980年(ボリビアコロニア沖縄入植二十五周年祭典委員会)
『ブラジル沖縄県人移民史 笠戸丸から90年』2000年(ブラジル沖縄県人会)
『ブラジル読谷村人会のあゆみ』2007年(ブラジル読谷村人会)
 

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