続 渡慶次の歩み
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第12章 年表「渡慶次の歩み」
渡慶次の歩み(年表)
 
西暦
(和暦)
月日 事項 読谷・琉球・沖縄・その他
1947年
(昭和22)
4月   渡慶次初等学校として独立復校する。校長宇座※※(4月)、教頭知花※※赴任(5月)。
5月12日   渡慶次幼稚園開園式(園児119名)。
5月27日 字渡慶次の自治会組織が戦後のスタートをきり、その中で現在の子ども会の前身である「少年自治会」が発足。  
6月 渡慶次畜産組合発足。  
7月 渡慶次青年会再発足。  
7月20日   校区青年会結成。
8月 旧部落内道路拡張碁盤型計画に基き設計実測を行う(主要道路の幅員は3間(けん)にしてその他の道路は2間(けん)2尺(しゃく)とする)。
字渡慶次の人々の高志保への移動完了祝賀会を高志保公民館敷地で行う。
土地整備開始。
準青年会発足。
 
9月10日 村婦人会結成式。
10月16日 瀬名波、渡慶次、儀間居住許可の通知を受ける。  
11月 渡慶次部落への復帰。  
12月10日   校区婦人会結成総会。
1948年
(昭和23)
青年会によって戦後初めて「悪魔狂」が上演される。 読谷村体育協会設立。
4月 字事務所の新築(渡慶次148番地)。  
4月1日   「6・3・3制」学制改革。
4月8日   読谷中等学校開校式。
5月12日 米軍、渡慶次、儀間に立退命令下す。  
 
西暦
(和暦)
月日 事項 読谷・琉球・沖縄・その他
1948年
(昭和23)
5月18日 渡慶次・儀間部落、立退命令により家屋の撤去作業開始。  
6月 立退き後の行政班の編成替えを行う(高志保、瀬名波)。事務所を高志保381番地に移転。  
7月16日   第3次通貨交換。B円に全琉統一。
8月1日
(旧6月26日)
青年会が戦後初の角力大会を開催。  
8月23日   戦後初の村長選挙(松田平昌当選)。
9月 婦人会復活、戦後の再スタート。  
9月26日   校区運動会開催。戦後初の陸上競技会を兼ねる。
10月 前年度開始した、渡慶次全体の土地台帳整備のための調査測量業務の完了。(2・3か年後の所有権回復につながる)。  
11月 戦後第1回出生児祝賀会(数年中止されていたため、まとめて行うべく、該当者は5歳以下の子ども)。  
12月 次年度から部落運営を予算式にして予算の審議を行う。  
1949年
(昭和24)
  給仕4人を選任、2人で交替制になる。  
1月 土地整備に関する一筆限調書縦覧。会計年度の変更(1月〜12月末日を4月〜3月末)。  
4月   学区域の変更あり。学区域は渡慶次、儀間、宇座、瀬名波、長浜の5か集落となる。現敷地に仮校舎(茅葺丸太土間教室)8棟(18教室)を5か字民により建築する。渡慶次への割当は1校舎2教室で、「永久校舎」が出来るまでその管理はその部落に任される。
 
西暦
(和暦)
月日 事項 読谷・琉球・沖縄・その他
1949年
(昭和24)
4月18日   読谷、渡慶次、喜名の各併置中等学校を読谷中等学校へ統合。
7月 渡慶次復興会設立。  
7月23日 台風グロリア来襲。事務所をはじめ住家、畜舎のほとんどが全壊し、瓦葺の事務所をカヤ葺にして再建。忠魂碑の門柱も折れ、その後復元工事も行う。  
9月 備忘録を作成し戦前なみの祭事を行う。  
12月1日 渡慶次自治会則施行。  
1950年
(昭和25)
4月   沖縄バス読谷線開通。
4月7日   コザ高校喜名分校から読谷高校独立認可される。
6月17日 学事奨励会発足。  
7月 渡慶次、儀間2か字で龕(ガン)再建。  
8月 旧6月25日を偲んで戦後初の角力大会開催(渡慶次初等学校校庭にて)。
獅子の再建。
農協理事が山城※※から神谷※※に代わる。
 
9月 旧八月十五夜並びに獅子、龕の完成祝賀会。  
12月29日 忠魂碑の除幕式並に第1回慰霊祭を開催。  
1951年
(昭和26)
3月17日 戦後の第1回学事奨励会開催。  
3月19日   読谷高校第1回卒業式。
4月 (戦前の)郵便貯金、簡易生命保険の申告。  
4月1日   琉球臨時中央政府発足(主席比嘉秀平)。
 
西暦
(和暦)
月日 事項 読谷・琉球・沖縄・その他
1951年
(昭和26)
5月 土地所有権証明書交付。渡慶次老農会発足。  
7月 旗頭の復元。  
9月 旧八月十五日旗頭の復元祝並に龕、獅子の1周年記念祝賀会(於読谷沖映)。  
12月 渡慶次養豚組合発足。  
1952年
(昭和27)
1月 渡慶次部落への移動許可。移動許可にともない青年会による敷地の整備作業始まる。割当土地の小作料を所有権者に支払うようになる。  
4月1日   琉球政府が発足する。
初等学校を小学校、中等学校を中学校に改称。
5月 青年会、準青年会合同で青年倶楽部建築資金造成のため演劇を行う。読谷沖映で2日間、5月10日〜11日は石川在住民への慰安・親睦会を兼ねオリエンタル劇場において公演する。収入4万5000円、雑費2万8000円、残金1万7000円を建築資金として青年会員に5分の利息で貸し付ける。  
11月 戦死者、戦傷者調査開始。  
12月 渡慶次夜警団発足。  
1953年
(昭和28)
3月 準青年会解散。  
6月 ボーロポイント飛行場拡張阻止陳情(行政主席へ)。  
9月 旧八月十五夜祝賀会に於いて昭和21年より27年までの歴代区長への感謝状並に記念品贈呈式を行う。  
12月 養豚組合を解散し家畜組合を設立する。  
 
西暦
(和暦)
月日 事項 読谷・琉球・沖縄・その他
1954年
(昭和29)
  「渡慶次婦人会歌」、「渡慶次子どもを守る歌」ができる。毎月定例会を開催するようになる。  
3月 戦争で焼失した戸籍整備を行う。  
6月 字事務所敷地の拡張整備を行う。  
7月 整地された敷地に事務所を高志保から移転する(茅葺、206番地)。  
9月 午年にちなんで龕、龕屋、獅子の修理を行い旧八月十五夜に渡慶次、儀間合同の仮装行列を行う。  
12月12日 農事実行組合発足。  
1955年
(昭和30)
6月 1号溜池、4号溜池の改築。
仮戸籍縦覧。
神谷※※が農協長に就任。
社会教育法に基づき字事務所を公民館と呼ぶようになる。
婦人会(与那覇※※会長)が第1回目の「母の日」行事を開催。
生徒と母親との交歓会をもつ。
 
9月 ボーロ飛行場の農耕証明書の発行。部落内道路拡張整備工事始まる。  
10月30日 渡慶次古典音楽同好会発足。  
12月11日 道路拡張工事完成、出産祝、忘年会の合同祝賀会を開催(仮装行列)。  
1956年
(昭和31)
  婦人会が生活改善部結成。講師招聘の講習会開催。
会計を廃止。
葉煙草耕作組合結成。
琉球政府が新生活運動推進協議会設置。
1月 講和条約前の損害賠償の請求の調査。  
3月 石川・嘉手納等、半額にする。字会計職の廃止、区長が会計も兼任する。  
 
西暦
(和暦)
月日 事項 読谷・琉球・沖縄・その他
1956年
(昭和31)
3月13日   比謝川配電により全域点灯。
6月 公民館の着工(スラブ造、50坪、180番地)。  
7月2日   読谷村便り創刊号。
7月28日   土地闘争・那覇市にて四原則貫徹県民大会開催。
11月18日 公民館新築落成祝賀会、当日は大雨で、お客さんは公民館にもあふれ隣近所の家を借りてもてなす。  
1957年
(昭和32)
  給仕2人で1か年制になる。
婦人会(福地※※会長)の収支が予算制になる。
読谷村体育協会主催の陸上競技大会が校区対抗から各字対抗へ。
3月30日   役所庁舎落成。
5月 部落内に共同井戸3か所に設置(琉球政府補助)。  
6月 3号溜池改築。講和前補償一時金受領。
戸籍認定される。親子ラジオ設置委員会発足。
 
1958年
(昭和33)
1月7日 戦時外国出国者の未帰還者調査。  
3月24日 瀬名波公民館においてナイキ基地地上物件補償金支払。  
5月 渡慶次親子ラジオ設置。  
9月 軍用地料の10か年一括払い実施。  
9月16日   B円からドルへ通貨切替。
11月 南米移民の募集。戦時中の徴用馬車の損失調査。  
11月21日 豚疫予防注射(都屋、渡慶次、瀬名波、大木、牧原、長田)  
 
西暦
(和暦)
月日 事項 読谷・琉球・沖縄・その他
1959年
(昭和34)
1月 第1回生年合同祝賀会開催(亥年)。
親子ラジオ設置に伴い給仕1人にする。
 
3月28日 1959年度共進会褒賞授与式総合1位渡慶次、2位波平。  
4月28日 波平〜渡慶次農道竣工。  
5月 近所原の松並木(ホーゴ)が枯れ全部切り倒す。  
8月 部落内保安灯設置。公民館の修理(ペンキ塗り)。  
8月24日   村営火葬場落成。
9月 1号溜池の修理。  
12月 農業倉庫の新築。  
12月9日 長浜、瀬名波、渡慶次の簡易水道施設に弁務官資金交付される。  
1960年
(昭和35)
  給仕2人制にもどす。 渡慶次小パン給食実施。
1月22日   村長選挙(知花成昇当選)。
3月27日    
8月 教育隣組結成。近所原に溜池を新設。  
10月 水道施設工事始まる。
公民館図書館の新築(2階をラジオ室にあてる)。
ボリビア・ブラジル移民者壮行会を開催。井志、山前門(知花※※)、亀城間小等が移民。
 
11月2日 渡慶次区戦没者慰霊祭 靖国神社坂本※※総務部長、三好宮掌参列する。  
1961年
(昭和36)
  渡慶次婦人会が文教局の指定を受け、発表力養成のため輪読会をもつ。読谷生活改善部発表会に与那覇※※参加、全国婦人教育研修会に沖縄代表として山城※※参加。 村青年連合会を村青年団協議会に改名。
 
西暦
(和暦)
月日 事項 読谷・琉球・沖縄・その他
1961年
(昭和36)
3月30日 第1回渡慶次共進会開催。  
4月 4号溜池の改修。  
5月6日 渡慶次公民館図書館落成祝賀会及び学事奨励会。  
5月21日 琉球政府文教局指定婦人学級研究発表会。  
6月4日 琉球政府文教局より、渡慶次婦人会が地域社会の向上発展に寄与したとして表彰される。  
7月 各溜池周囲のフェンス張り工事。公民館運営機構図を作成。  
9月6日   村内各公民館に電話開通。
9月24日 第1回渡慶次敬老会開催。  
1962年
(昭和37)
  渡慶次婦人会が村婦人会より、優良婦人会として表彰される。  
3月29日 渡慶次学事奨励会  
4月 公民館周囲のブロック塀工事。  
4月13日 渡慶次区部落共進会  
4月20日 水道給水の開始。区民のチリ捨て場を与那覇太郎の敷地の後方の大穴に指定。  
9月15日 としよりの日渡慶次で敬老会開催  
12月9日   池原昌徳村長に当選。
1963年
(昭和38)
  白百合の会(婦人会高年部)結成準備。すべての祝い事のお祝儀を50セントにしおみやげを廃止。当字予算より会長手当が支給される。読谷村生活改善部発表会に玉城※※参加。
準青年会再発足準備委員会結成。
大家畜組合結成。
母豚組合結成。
 
 
西暦
(和暦)
月日 事項 読谷・琉球・沖縄・その他
1963年
(昭和38)
2月21日 コレラ予防注射(役所及び喜名、渡慶次、大木の各公民館において)  
2月25日 衛生教育映写会(渡慶次公民館)  
4月 行政機構改革により書記より区長に繰上制。炊事場の拡張工事を施工。村外在住者より部落負担金の廃止陳情あり。  
5月3日 渡慶次区青少年保護育成懇談会  
8月 第1回各組対抗のソフトボール大会(教育隣組主催)。  
10月2日 渡慶次敬老会  
12月 琉球大学大学祭見学(教育隣組主催)  
1964年
(昭和39)
5月 読谷区教育委員会指定教育隣組活動実績発表(14組)。  
5月 老人クラブ結成準備委員会発足。  
(旧5月) 渡慶次ハーリー開催(海友会主催、渡慶次正後援)。  
5月19日   村老人クラブ結成。
6月6日 渡慶次青洋会(老人クラブ)発足。  
8月 渡慶次公民ラジオに儀間区が加入。
渡慶次独自の育英資金積立制度発足(当年1000$計上)。
渡慶次白百合会発足。
渡慶次補導委員会。
 
1965年
(昭和40)
1月 渡慶次白百合会が自主運営に移行する。 校区婦人会を解消し、村と字(区)が直結した運営になる。
8月 公民館軒のスラブ工事施行。
マッシュルーム栽培始まる(地下鍾乳洞)。読谷総合共進会に於いて連続3か年優勝。村外在住者の負担金廃止。
 
 
西暦
(和暦)
月日 事項 読谷・琉球・沖縄・その他
1965年
(昭和40)
8月19日   佐藤首相来沖「沖縄の祖国復帰が実現しないかぎり、日本にとって戦後は終わっていない」と声明。
12月 親子ラジオ事業の廃止。
準青年会再発足準備委員会へ各年代から代表1人を加え本格的に動き出す。
 
1966年
(昭和41)
  ラジオ運営委員会、図書運営委員会の廃止。
公民館運営機構の改革(有志会を行政委員会に、特別有志を顧問に、書記から区長繰上げを廃止、会計を新たにおく)。
健青会(前の準青年会)復活。
事務室の改築。
拝所の美化工事(健青会)。
火葬場が設立されたため、龕は龕屋に永久保存することになり、龕の永久身納め決定。龕屋はスラブ建てで山内※※氏が210$で建設。
母豚組合を解散。
読谷村体育協会が夏季大会を初めて開催する。村から各字に補導員が5人ずつ委嘱され、補導活動を開始。
9月 大井所有権問題で渡慶次、儀間の合同役員会。獅子旗頭の修理(午年)。
公民館10周年記念祝賀会。
甘蔗研究クラブ発足。
第1回海神祭(健青会、海友会合同主催)。
 
11月18日   池原昌徳二期目村長当選。
1967年
(昭和42)
  農業研究クラブ発足。  
4月 FBISの地域の点灯許可。  
5月 交通安全友の会発足。
山内※※より青洋会旗が寄贈される。
 
7月28日 講和前補償金受領。スポーツ少年団結成。
溜池周囲のフェンス張り工事(健青会)。
 
 
西暦
(和暦)
月日 事項 読谷・琉球・沖縄・その他
1968年
(昭和43)
  字婦人会に若妻会、中年会、高年会の各組織ができる。  
4月13日 教育隣組長会にて勉強時間の設定(夏は6時、冬は5時。公民館から放送で呼びかける)。  
5月3日 公民館補修工事、図書館から始まる。  
5月4日 海友会・健青会・青年会・合同役員会で旧5月4日ハーリーの件。今回は多くの商品を準備して盛大に行うことに決定する。  
6月2日 旧5月7日ハーリー大会開催。渡慶次ビーチで行われる。
エンジン付:安田※※、ハーリー競漕技:福地※※両名の船がそれぞれ入賞する。
 
6月6日 明治100年祭記念木として赤木を山城※※・区長・書記・使丁2人・婦人会・健青会・関係団体長で記念植樹する(忠魂碑)。  
6月19日 カタノーの字有地を読谷村長とチリ捨て場目的で賃借契約に調印。  
7月8日 沿岸漁業権に関する講和前補償金受領。  
7月20日 FBIS地域の電線泥棒が横行し、約800フィート切断し、盗難にあっているので犯人検挙に協力依頼。もし犯人を検挙できない場合、黙認耕作地に影響を及ぼす恐れ。  
8月 拝所の美化(健青会)。  
8月2日 都屋公民館へ漁業組合加入について協議。
渡慶次も漁業組合員として11名加入。
 
8月7日 防犯灯設置箇所申し込みにつき、比謝川配電に願い出る。  
8月13日 行政委員会(防犯灯5本、設置認可受ける)。  
 
西暦
(和暦)
月日 事項 読谷・琉球・沖縄・その他
1968年
(昭和43)
9月 カタノー原の字有地を村に借し付け、読谷村営チリ捨て場に指定。
4号溜池の埋め立て。
 
9月14日   行政主席より90歳以上の方々に敬老見舞金交付。一人につき$5.00。
11月11日   初の公選主席屋良朝苗当選。
12月9日 読谷村生活改善推進競技会開催。正月は新正一本にほぼ決定。渡慶次区では新旧二本立ての線が強い。
フィラリア検診が行われ区民520名が受診。
 
1969年
(昭和44)
  近所原の排水及び道路工事。アタトー屋の復元(健青会)。  
4月26日 学事奨励会主催の字渡慶次学事振興総決起大会を開催。  
8月 第1回渡慶次区民運動会(渡小グランド)。  
9月 国民年金申請受付。  
11月9日   第1回読谷村婦人運動会開催。
12月 全沖縄老人クラブ大会で青洋会が表彰を受ける。
婦人会50周年記念式典及び祝賀会開催。記念誌発刊、「松竹梅鶴亀」を初めて披露。
 
1970年
(昭和45)
  公民館広場の美化工事。近所原の字有地境界線のブロック積工事。
第1回養豚祭り(公民館広場)。
 
2月28日   読谷中学校新運動場完成。
4月19日 渡慶次学事奨励会会則を制定。  
 
西暦
(和暦)
月日 事項 読谷・琉球・沖縄・その他
1970年
(昭和45)
6月 学事振興総決起大会開催。  
8月 第2回渡慶次区民運動会を開催。  
11月25日 読谷漁業組合渡慶次支部結成大会。
スピーカー工事(近所原へ地下線敷設)。
拝所の美化工事(健青会)。
 
12月9日   古堅宗光村長当選。
1971年
(昭和46)
  学事奨励会の予算が本会計(字予算)より独立。
山城※※が農協幹事となる。
 
1月17日 公民館広場開き。  
4月24日 学事奨励会。24日:小学生の部(午後2時より)、25日:中高校の部。  
4月26日 春の清掃検査。区長・書記・婦人幹部等が各家庭を廻る。  
5月16日 海神祭。子ども達一時間位海水浴。各種団体のハーリー。  
6月3日 初の復帰対策委員会。  
7月 公民館内部の改築。  
8月22日 第3回渡慶次区民運動会を開催。  
11月21日 公民館建築15周年記念祝賀会。
『渡慶次の歩み』発刊。
 
11月24日   読谷村新生活運動協議会(正月新暦を確認)。
12月13日 戸主会総会にて『渡慶次の歩み』印刷製本費、1843$35¢追加承認される。  
1972年
(昭和47)
  伝統芸能保存のため組踊の衣装を字備品として購入する。
自治会則・規程(字渡慶次表彰規程)施行。
 
 
西暦
(和暦)
月日 事項 読谷・琉球・沖縄・その他
1972年
(昭和47)
1月1日 今年から新正月を迎えるようになる。  
1月24日 農業基本台帳調査委員講習会(委員:玉城※※、玉城※※−中央公民館にて)復帰対策委員会において、山林原野は村長名義にし、チンジ(近所原)のホーゴと元サーターヤー敷地は宅地として部落の人に売却する。カタノーは当分はそのままにしておく。寺原は宅地造成の意味で主要道路を作っておく必要があることなどが確認される。  
2月27日 子年生年合同祝。  
4月23日 学事奨励会。小学生の部1時〜3時、その後中高校の部。映写あり。  
4月27日 ピーマン豊作祝を農協で行う(渡慶次ピーマン生産の最盛期)。  
5月7日 行政委員会にて、役場から松田企画室長、町田係長が来て、寺原の宅地造成予定地に対し、農地であるとの理由から宅地造成に対し調整が必要との認識で一致。  
5月10日 漁業組合の株を字より個人に移す。  
5月13日   ドルを日本円に交換。
5月15日 寺原の字有地を区民に分与(売却)する。寺原を集落地域計画にともない村との折衝はじまる。 日本復帰し沖縄県となる。
読谷村役所を「読谷村役場」に改称する。
5月28日 字予算審議委員会。米ドルから円建てに変わる。  
6月4日 渡慶次の漁業権名簿人者11名の集会。各自50$を出し漁業権取得。  
6月11日 ニーセーシングヮチャー(青年四月)。元二本松の浜で行う。  
6月25日   初代県知事に屋良朝苗が当選。
 
西暦
(和暦)
月日 事項 読谷・琉球・沖縄・その他
1972年
(昭和47)
7月6日 三者連絡協議会でドル建てした学事予算を円建てに替える。  
7月16日 行政委員で寺原の宅地(元サーターヤー敷地)造成の仮杭打ち。5区画。  
8月27日 第4回渡慶次区民運動会を開催。読小にて。1位は高志保の6・7班連合チーム。  
8月29日 行政委員会及び寺原の字有地入札。  
9月13日 行政委員会並びに寺原の地主会。道路計画についての話し合い。  
9月24日   初の農業委員会委員選挙。
10月22日 石川市四区の教育隣組役員が渡慶次教育隣組活動を研修に来る。  
11月18日 出生祝。出生児が48名で近年の約2倍となる。  
11月21日 行政委員会。寺原の5宅地、他に残った土地は隣接地主に売却すると決める。  
12月24日 戦後初の組踊「大川敵討−村原」全幕上演(青洋会主催)。  
1973年
(昭和48)
1月11日   読谷村内の米軍不発弾処理場から毒ガスが漏れる事故発生。
5月3日 若夏国体始まる→6日閉会式。
若夏国体婦人演技に6名参加し、エイサーでは青年会を中心に健青会・婦人会も協力参加。
 
6月13日 甘蔗研究クラブ解散。  
6月30日 メースB基地の返還。渡慶次返還軍用地対策委員会。  
7月1日 青洋会設立10周年記念式典。10周年記念誌発刊。組踊「大川敵討−村原」上演。  
 
西暦
(和暦)
月日 事項 読谷・琉球・沖縄・その他
1973年
(昭和48)
9月9日 第5回渡慶次区民運動会を開催。  
9月25日 国道58号にかかる字有地を坪当たり約9000円で売却の旨、行政委員会で決議される。  
10月   第1回読谷村老人運動会開催。
10月27日   第1回読谷村畜産まつり開催。
1974年
(昭和49)
4月1日 玉城※※が農協長となる。 残波岬灯台が完成、点灯式開催。
4月11日 行政委員会(大池を埋め立てる件その他)。  
4月17日 嘉手納・読谷合併説明会。  
4月28日 学事奨励会。小学生の部2〜4時、中学生の部4〜7時。パネル討論会。  
6月30日 4か字連合のボーロポイント返還軍用地主会結成。  
7月16日 行政委員会(大池埋め立て後は周囲にブロックを5段積む)。  
7月21日   山内徳信村長当選。
8月 第6回渡慶次区民運動会を開催。  
8月15日 ボーロポイントの一部(南側)返還。  
11月16日 安田※※助役就任祝い、村議の当選祝い、前村議2人と前書記の感謝会。  
11月30日 ボーロポイントの一部(北側残波岬一帯)返還。  
12月8日 組踊「大川敵討−村原」・棒術・獅子舞の発表会。  
 
 

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