人を思いやる心づくり・むらづくり

2022年7月の出来事など…

第57回読谷村総合体育大会終了

第57回読谷村総合体育大会は、7月3日に実施された3競技で夏季大会すべての競技が終了しました。

7月3日に実施された男子バレーボールでは惜しくも4位でした。

柔道、相撲大会は出場を辞退しました

男子バレーボール大会は近日YouTube配信予定。

年中行事を行いました

六月御祭 旧6月15日

稲の収穫儀礼の御願をアタトーヤで行いました。

六月御祭 アタトーヤにて

井の御願 旧6月25日

人間にとって命の泉である井戸に感謝を込めて御願を行いました。

井の御願 包井小(チンガーグヮー)にて

5年ごとに渡慶次まつりで上演される渡慶次の3時間におよぶ長編組踊「大川敵討-村原」。

2015年の上演後、2020年に上演予定でしたが、コロナ禍で延期となり今年上演の予定です。そのため、演者・関係者の方々が日々、練習に励んでいます。

そこで、今回はこの渡慶次の組踊「大川敵討-村原」に関するお話を紹介します。

渡慶次の組踊「大川敵討-村原」

「組踊」は、唱え、音楽、踊りによって構成される沖縄独特の歌舞劇であり、沖縄が誇る伝統芸能と言えます。1972年(昭和47)には国の重要無形文化財に指定され、さらに2010年(平成22)11月にはユネスコの無形文化遺産条約に基づき、「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」に記載されました。

組踊を方言ではクンムイと呼び、玉城朝薫の「執心鐘入」、「孝行の巻」、「女物狂」、「二童敵討」、「銘苅子」の5大作をはじめ、沖縄のほぼ全地域、集落に残されているようです。

近隣の字でも、字儀間の「八重瀬」、字宇座の「久志の若按司」、字瀬名波の「天願の按司」、字長浜の「森川之子」等、渡慶次校区各字でもそれぞれ組踊が継承されています。

私たちの渡慶次に継承されている組踊「大川敵討」は別名「忠孝婦人(ちゅうこうふじん)」や「村原(むらばる)」とも言われ、渡慶次では「村原」と呼称しています。笑いや迫力ある立ち回りが凝縮された約3時間の長編組踊であり、渡慶次に伝わったのは明治中期以後と言われています。

多彩な登場人物と組踊の妙味が詰まったこの組踊、豊かな内容と琉球古典音楽の専門性と、いずれをとっても、その継承には多くの情熱と努力が必要なことから、渡慶次の先人たちの想いが伝わる大作でもあります。

「村原」練習風景 2022年6月2日公民館にて
1986年(昭和61)第8回「大川敵討ー村原」発表会にて

戦後の継承

戦前の脚本は焼失したため、1956年(昭和31)に新垣喜英氏が関係者からの聞き取りを行い、続け書きの行書体を用い、手書きで脚本をまとめたそうです。

その手書きの脚本を使って、「渡慶次の音楽同好会が県内の古典音楽の諸先輩方をもてなすために、同好会の総会時に読谷沖映において上演した」と「続 渡慶次のあゆみ(下巻)」にあります。

現在継承されている組踊「大川敵討-村原」は4幕構成なのですが、その上演時には1幕と2幕のみを演じたそうです。

上演するのに多くの出演者と多くのスタッフの協力が必要なこの組踊を、なんと渡慶次老人会組織である「青洋会」が1972年(昭和47)12月24日、全幕を通しての本格的な上演を行ったそうです。

青洋会の持つバイタリティにはいつも感嘆させられることが多いのですが、まさか3時間の組踊を采配し成功させるとは、渡慶次青洋会恐るべし、です。その上演のための衣装・小道具も1970年(昭和45)から長期に渡り準備を行っていたそうです。

その後、何回かの上演を行い、いつから渡慶次の伝統芸能として定期上演するようになったのかは定かではないのですが、1976年(昭和51)には読谷まつりの前身である読谷村文化まつりでの上演を行っています。

当時の音声は録音テープ

当時の立方(演者)の台詞や地謡はテープに録音し、それに合わせて演者が動く方法で演じられていたそうです。現在のようにワイヤレスマイクや高性能マイクが無い時代ですから、演者の声を沢山の観客に届けるにはテープに録音した音声を再生するしか方法がなかったようです。

その録音にはかなり苦労したと、2005年(平成17)8月の続渡慶次のあゆみ編集の際に録音された、組踊に携わる方々への聞き取りが現存しています。

テープへの録音は波平の録音装置のあるスタジオや関係者の自宅、安田慶善氏の三線教室、渡慶次小学校の音楽室などで録音したそうで、もちろん、当時の防音・吸音設備の整っていない部屋での録音ですから、猫の鳴き声が入ったり飛行機の爆音が入ったりと「録音には相当気を使った」と述べています。

演者はテープに録音された音声に合わせて演技を行うわけですから、現在で言ういわゆる「口パク」のための録音を行います。ただ、録音の際には演者は脚本を見ながら発声するのですが、三線と合わず、何度も繰り返して録り直したそうです。

そして、この録音には「動作や演技の間」の時間も必要なので、当初はその「間」も入れながら録音していたようですが、演ずる舞台によりその「間」の時間も異なるのか、あとには連続して録音し、上演の際にテープ再生担当のオペレーターが、動作が入るところは、テープを止めて「間」を入れたりしたそうです。ただ、このテープと動作は合わすといういうことは非常に難しく、何度も何度も練習を重ねたそうです。

ただ、オペレーターが間違って操作することもあり、前述の1976年の読谷村文化まつりでは、台詞を言う場面のところで、テープの反転ボタンを押してしまい、大慌てになったという逸話もあります。このテープによる上演ですが、1983年(昭和58)まで行われ、1988年(昭和63)からは、録音テープを用いず、演者がすべて台詞を覚えて演じるようになりました。

その後、上演の期間が4年毎、3年毎と変化しましたが、現在は5年毎の上演となり、文化財保存委員会が中心となり役者の選考や指導、そして上演の際の裏方・地謡を努めています。

今年は組踊「大川敵討-村原」を楽しんで

今年、初めて組踊「大川敵討-村原」をご覧になられる方もおられると思います。「村原」の舞台には派手な演出や舞台装置はありません。またセリフも独特の方言・リズムがあるため、最初は戸惑う人も多いはず。でもその分、立方(演者)の所作1つ1つが私たちの「想像力」を刺激し、目が離せなくなります。

そして、渡慶次の皆さんが手作りで作成した、知恵の詰まった衣装も見どころです。昔の琉装をした人が動き回るところは、組踊以外ではあまりみることができません。

また、「組踊」は「聴くもの」といわれるほど、音楽が重要な役割を担っています。組踊における音楽の担当を「地謡(じうてー)」といい、地謡により場面や状況の説明を行い、劇中における舞踊を伴奏し、登場人物の心情などを表します。この生演奏に合わせて、舞台上でさまざまな人間ドラマが繰り広げられるのです。

今年はぜひとも組踊「大川敵討-村原」を楽しんで下さい。