続 渡慶次の歩み
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第4章 戦後復興期
第5節 渡慶次集落碁盤型道路完工までの歩み
 (第2回)
拝啓 初夏の候、区長様以下役員一同に至るまで皆御清栄のことと存じたてまつります。
 さて、先日は御多忙の折、われわれのため多数御出席下され、誠に有難く心から厚く御礼申し上げます。色々と失礼なこと申し上げてすみませんでした。御許し下さいませ。
 別紙の通り理由書及び署名を以て絶対反対いたします。さらば御返事下さるようお願い致します。
 一九五五年六月二十九日
石川代表 玉城※※
以下地主三八名
 渡慶次区長 殿
 
碁盤型実施に関する件
第一項 碁盤型実施反対に関する件
 理由
一、現在のまま碁盤型を実施するとしたならば「ハンジュー ハンジュー」が出来て相当の犠牲者を出すと思います。だから戦前通りにして下さるようお願い致します。
二、石川班の意志としましては碁盤型実施にあたり絶対反対致しません。われわれの希望としてこれを実施するとしたならば、第一番目に宅地数を筆記致しまして、その後、ブルドーザーを利用し一面に地ならしをする。そして縦横の通路を測量通り取り、それから筆記してある宅地数と合致する宅地数を取り一番東の前端より順序に宅地主を当字役員により指名してきめる。この通り実施するとしたならば犠牲者を出さず公平だと思います。これには大いに賛成致します。だがしかしこれを実施するとしたならば莫大な経費が必要だと思います。はたして一般住民が経費を負担する能力がありますか、研究すべきだと思います。
 我等の判断する所
三、皆さんも御承知の通り土地問題が間近に解決が出来ると思います。渡米代表団の陳情通り現在使用料の10倍を実現するとしたならば当字は我等の知るところ年間使用料四拾万円ぐらいいきはせんかと思います。だから後五、六か年待っていればこの金を利用し、出来はせんかと判断致す次第であります。
 
第二項
 一般住民の与論を尊重して下さい。一方的な圧力は絶対反対致します。
 理由
一、これは八か年前石川代表と渡慶次区代表合議の上犠牲者を出すからといって中止となりました。だから八か年も経過した今日、全地主大会を開催し、合議の上決定を実施すべきであると思います。御願い致します。
二、新聞紙上から見た世界の情勢は皆さんも御承知の通りいつ爆発するかわかりません。当字は滑走路に接近した関係上、いつ立ち退きを命ぜられるかわかりません。だから後五、六年は研究すべきだと思います。お願い致します。
 
第三項
 用水池改修に関する件
一、当字部落内の沼池は戦前そのまま捨て置きされていると思います。是非沼池の改修を実施するようお願い致します。万一の場合に備えて大いに役立ちはせんかと思います。
 以上の理由をもって絶対反対致します。
 
 謹啓、酷夏の候、部落の区長さんはじめ、当役の皆様には益々御清健のこととお喜び申し上げます。
 先日は御丁重なる御書簡を発送下さいまして誠に有難うございました。当役御一同様には部落の再興建設のため常時献身的活躍を続けておられる由、石川在住のわれわれは深く感銘しております。
 早速石川在住者の集まりを催しまして御発送の御書簡の趣旨を徹底させたような次第でございます。
 御書簡によれば「部落内における懇談会で部落内道路整備、清掃修理の件は現在毎月五、六軒、移動建設しておりますので資材運搬等早急に整備の必要がありますのでその後有志役員、婦人会幹部、青年会役員、渡慶次農事実行組合役員その他八十名位の方々の御意見を聴しましたところ、所期の目的を早急に実施するようにとの御意見でありますので御意志に充分添わぬ点は遺憾でありますが、部落内地主大多数の同意で実施する。」とのことの返事でありますが石川在住のわれわれには尚判然としない点が多々あります。それから、石川在住者総会において協議の結果、改めて当役の方々の御高見を拝聴すべく左記の通り決議(質疑)書を御発送致しますので御査収下さいまして、御繁多の御事とは存じますが何とぞ御賢察下さいまして御回報相成ります様御願い申し上げます。
一、終戦後各地の収容所から母村に移動開始間もなく渡慶次部落では当時の責任者の方々によって字内を碁盤型道路を改修すべく開削拡張の計画を立てたものの、部落民大多数の反対に逢い八年ほど前に中止することに決定され、すでに自然解消になったことと記憶しておりますが、今度右工事の件が蒸し返った形になっていますが、その理由と経緯を御説明下さい。
二、当役の方々のおっしゃるには比嘉行政主席の(許可とか認可)指令書類も下附されてあるとのことですが、この指令を石川在住のわれわれにも至急提示公開して下さい。右の書類は公開しても差し支えないことは勿論でありますからには至急お願い致します。その結果いかんによっては石川在住のわれわれも行政府主席その他関係筋に代表者を早急に派遣すべく協議を進めつつありますので御措置相成りたくお願いします。
三、土地所有者即ち地主と接収する責任者間に損害補償の契約とか内示承諾書といったような手続きをなさずに他人の所有する宅地耕作地、その他付随物(生垣、石塀、立木を壊したり取り除いたりせぬとも限りません)を接収して道路の建設をなさるという段階までに至ったその法的根拠を明示してください。
 なお、有志役員、婦人幹部、青年会役員、渡慶次農事実行組合役員が地主との契約とか承諾を求めず、地主の権利を無視して他人の所有する宅地や耕地を接収して道路改修をする決議権限が与えられてある様に考えられますがその法的な御説明をお願いします。
四、現在の沖縄には立法、司法、行政といったようなその他万般にわたって軍布令布告によってなされている実情にありますが、今度の場合行政主席の指令あるいは条例に基づいて計画がなされたとのことでありましたら、その指令条例の内容を石川在住のわれわれにも御説明下さい。部落内法の形式で独裁的圧迫的になされたのではないかと疑念を抱いての申し分ではありますが、その点なにとぞ悪しからず善意に御解釈の程をお願いします。
五、有志役員、婦人幹部、青年会役員、渡慶次農事実行組合役員、その他八拾名位の方々の御高見を聴して決議されたとの御意向のようですが、さまざまな連絡とか御指導を仰ぐ場合があり得ると存じますから右各団体の代表者の方々を渡慶次部落石川在住のわれわれにも参考までにお知らせ下さい。
六、右八拾名位で決議したとなっていますが、その中で今度の道路改修工事のために宅地耕地その他の付随物の侵害を蒙る実際の地主が何名位出席して何名位が同意なされたか、その住所氏名をわれわれ石川在住者にも参考までにご通知下されば幸甚と存じます。
七、道路拡張工事により宅地耕地その他の附随物の損害を蒙った者に対する賠償程度の大略を明示して下さい。以上申し述べまして貴殿の御高見を御回報下さいますようお願い致します。なお石川在住のわれわれは最悪の場合やむをえず脱退を決行すべく大多数の意向で居ります。なにとぞ御高慮御賢察下さいまして善処方お願い致します。溜池の件も仔細御手紙で拝見しまして稚鯉、大鯉の話も出て一同喜んでおります。
 炎暑のおり、当役皆様の御健闘をお祈り致します。
 字渡慶次区長 与那覇清 殿
石川在住者代表 玉城※※
 
 石川在住地権者はそこに生活の基盤があり、上記の反対の意思表示は当然のことだろう。しかも、土地取得資金もなく、すべて無償提供でありその心情は十分に理解できる。
 道路拡張工事の法的根拠の提示にも的確に答えるすべもなく、あるのは地域の発展を願う心情と熱意と根気だけである。その苦境を克服すべく懇談会や文書応答が幾度となく繰り返され、あるいは知己に依頼して同意を得る努力もなされている。
 このように誠意を尽くし精力的に活動を積み重ねて、1955年(昭和30)12月11日、道路拡張工事完成祝賀会を開催した。『渡慶次の歩み』の行政日誌の項98頁には次のように記されている。「道路拡張工事完成祝、出生祝、忘年会の合同祝賀会を開催(当日は、朝から各班競争で部落内を仮装行列し、晩は事務所広場に於いて演劇大会を行う。)」
 長年の夢であった碁盤型道路の拡張
 
040258-乱舞する人々
中心で地謡が唄い、周辺で乱舞する人々
 
040258-集落を練り歩く
エイサーのように踊りながら集落内を練り歩く
 
工事に着手したときの区長であった与那覇清は、『農村基盤総合整備事業完工記念誌』で次のように述べている。
 
 40年近い月日が過ぎた本日、ここに部落内道路完工祝賀会を催すに当たり、当時の区長として御挨拶を申し上げることの出来ますことは、私にとってこの上もない喜びであります。
 さて、当時をふりかえって見ますと、戦後まもない部落行政で区長として何を先きに仕事を進めて良いか全くわからない時期でしたので、有志の皆様方と毎日のように話し合いを持ち、行政を進めて来ました。部落の発展は先ず道路からと、いち早く基盤整備を企画された、当時の部落代表山内※※さんとも相談して早速道路拡張特別委員会を設置して委員長に山城※※氏、委員には山城※※、神谷※※、玉城※※、儀間※※、玉城※※、玉城※※氏、をお願い致しまして、事業を進めることにしました。
 1日20名から25名の方が毎日出ていただき、2か月余りの工事となりましたが、其の間の苦労は私から申し上げるまでもございません。10時、3時の休憩時間においても、話し合いの時間でお茶さえ出さずよく頑張られたと思うと、今は想像もつかない私の想い出として心に残って居ります。
 次に、祝賀会におきましては、各班から道路拡張工事にたいする出し物でしたので、私にとって一生忘れることの出来ないことは、1班から組踊の按司姿の大城※※を先頭に、ドラムカンで出来たローラーをひっぱって中道を通り、公民館前まで一巡して晩6時頃から祝賀会、そして一通りの会もおわり、余興に入りました。
 余興は、各自18番ときめてありましたので、私が1番モーイでした。いきなり会場から「ウリヒャーモーランナー」と言われまして、私と姉と母が出て来て一緒におどりました。其の後、渡慶次公民館の行事のあるごとに姉弟(チョーデェー)モーイが続いていました。
 このようにして部落内道路が完了できましたことに対し、国、県、村の補助を受け先輩方そして、区民皆様の御協力に対し衷心より敬意を表すと共に当時の思い出と致します。
 最後に、完工祝賀会を契機に区民皆様の御多幸を祈願し挨拶と致します。
 
 

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