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第7章 むらづくり―各種団体の活動―
第2節 渡慶次福祉いぶし銀会
1 いぶし銀会の歴史
(1) いぶし銀会の発足
いぶし銀会の発足は読谷村の「ゆいまーる共生事業」に深い関わりを持つ。「ゆいまーる共生事業」展開の背景となったのは、社協と喜名区の「公民館を拠点としたミニデイサービス事業」である。
高齢化が進み、老人の数が増えると地域の老人会活動も活発になっていった。その中で元気な老人の活動についていけなくなった高齢の老人達が、事あるごとに病院に行くなど、サロン感覚で病院に集まる傾向が出てきた。健康食品や器具などを販売する目的で地域で開催される、いわゆる「はいはい学校」へ行き、高い買い物をしてしまうなど、高齢者が持つ課題は様々なものがあった。そこで、読谷村社会福祉協議会(以下社協と略す)では上地※※事務局長(当時)を中心に、そのような高齢者を対象にしたふれあいサロン、ミニデイサービス活動を地域の公民館を拠点として展開していけないだろうかと模索した。そこで白羽の矢が立ったのが字喜名であった。喜名の民生委員と相談し合いながらテストケースとして1988年(昭和63)8月にミニデイサービス活動を始めた。当時渡慶次の民生委員だった大城※※は、喜名のミニデイサービス事業に習い、渡慶次でもそうした事業ができないものかと、社協との調整に入った。
社協では、喜名でのモデル事業の多大な成果を見て、読谷村全域でそうしたミニデイサービス事業の展開を図ろうとの主旨から、各字民生委員・区長をはじめとする公民館職員・老人会役員経験者、社協の弁当無料配達事業の地域ボランティア等に協力を求め、地域の人材が主体となって活動を展開できるような土台作りを始めていった。
1989年(平成元)8月には読谷村役場での介護予防活動「ゆいまーる共生事業」がスタートし、モデルケースとなった喜名福寿会には役場からの補助金が下りるようになった。
同年、大城※※・新垣※※の両名は渡慶次まつりに於いてバザーを開催し、その収益金が1万9千円となった。1年目の収益金は婦人会の60周年事業へと寄付をしたが、2年目の収益金を「福祉関係に使用したい」という思いから、「ゆいまーる共生事業」の渡慶次での展開に向けて動き出した。1990年(平成2)新垣※※が民生委員になると、渡慶次出身の民生委員が2人となり、事業の展開へ向けての準備が整うと、2人で喜名福寿会へ見学に行った。すると、そこに参加しているお年寄りの生き生きとした目の輝き、楽しそうな雰囲気を目の当たりにして感動し、「渡慶次にもこのような組織をぜひ作ろう」と決意したと振り返る。福寿会に補助金等の申請先や方法を聞き、早速渡慶次も補助金交付を受けるため、社協の上地※※事務局長や、役場にいた当字出身の与那覇※※厚生課長に相談した。与那覇※※は、「大変だよ」と2人の事を心配してくれたが、それでも「ぜひやりたい」という2人の強い願いから、役員や規約等の準備をすれば翌年度の4月から補助金交付が出来るよう手配するとのことで話がまとまった。
"身体の障害や、高齢のため老人会活動に参加できない者、1人暮らしの高齢者等の健康づくり、生きがいづくり"を目的に揚げて、組織結成の主旨に賛同する者に呼びかけをした。役員は新垣※※と大城※※の2人で検討し、会長を玉城※※、副会長を山内※※にそれぞれ要請、承諾を得た。また、対象者となる人々の家を1軒1軒訪問し、対象者が公民館に来やすいよう呼びかけ、納得のいくまで話し合いを続けた。最終的に、対象者16名、ボランティア8名、それに公民館職員もボランティアとして参加することになった。
1991年(平成3)4月、はじめは「渡慶次福祉会」の名で、対象者・ボランティア、社協職員、役場関係者が出席する中、開講式を行い結成に至った。村内では喜名に次いで2番目のゆいまーる共生事業団体の発足となった。
結成の翌月5月14日からは、開講式を行ったホールではなく、「畳の部屋が良い」との対象者の声を聞き入れ、会議室で開かれた。その日に、対象者・ボランティアで意見を出し合い、会の名称について話し合った。「輝く会」などの意見が出されたが、最終的に玉城※※会長の「皆で輝く老人になりましょう」との意味を込めた「渡慶次福祉いぶし銀会」の案に決定した。
発足当初は役場より1回5千円の補助金をもらい、そこからおやつ代を捻出していた。当時はボランティアの態勢がまだ整っていなかったこと、多くのボランティアが都合により、活動を続けられなかったことなどがあり、発会から約半年後には新垣※※と大城※※の2人で人数分(対象者・ボランティア合わせて30人分程)のおやつを作ってまかなった。また、公民館から遠い所に住む者や、身体に障害がある者などは車で迎えに行き、参加してもらっていた。この送迎は、協力者が現れるまで3年半程大城※※が1人で続けた。
マイクを片手に、与那覇※※さん
活動の内容は、現在のように決まったプログラムはなく、対象者にマイクを持たせ、話や歌などの持ち芸を発表してもらうことが多かった。主な参加者では儀間※※(新屋朝儀(ミーヤーアサギ))、国吉※※(国吉(クニシ))等がおり、また対象者がそれぞれ披露する持ち芸としては小橋川※※(小橋川(コバシガー)):小学校の運動会の歌、安田※※(前之川上(メーヌカーカン)):スーヤーヌパーパーの一人芝居、与那覇※※(蔵畑(クラハタ)):耳切坊主(ミミチリボージ)の歌等があった。
笑顔のおばあさんたち
(2) いぶし銀会対象者とボランティアとの関わり
いぶし銀会は発足してから今年で18年目を迎えるが、参加者(対象者)からは絶えず感謝の言葉が返ってくる。「ボランティアの皆さん本当にありがとうございます」と笑顔でそのような言葉を掛けられると、ボランティアももっとお世話してあげようとやる気が増す。
このいぶし銀会活動の展開による波及効果もいろいろな面で現れており、参加者の変化としては、会活動に参加することで元気を取り戻し、家でも1人で食事を摂っていた者が家族と会の活動を話し、団欒しながら食事をするようになったといった話が聞こえるようになった。さらに参加者の家族からも、家庭での会話が増えて家が明るくなったことや、いぶし銀会参加者を通じて家族も地域との関係が深まったという事例もあった。また、子ども会や青年会など各種団体との交流が行われると、道で会うと挨拶を交わすなどして世代間交流が進んだ。反響の大きさは、寄付金増にもつながり、おやつに使って欲しいということで野菜や果物、作物の差し入れなど、地域の協力もしだいに大きくなっていった。
この事業を通して、青洋会からのボランティアや地域の保健師、看護師経験者等、一般ボランティアだけでなく、医療等の知識技術を持った専門ボランティアなど、地域の人材開拓にもつながった。
現在でも毎回、会の始めに血圧測定や軽い問診等の健康チェックが行われているが、健康チェックの係は役場より派遣される形で行われていた。知花※※、知花※※、与那覇※※、儀間※※、大城※※がそれぞれ1〜2年ずつ担当し、2003年(平成15)の玉城※※会長時にやまびこ薬局の山内※※に常時来てもらえるよう要請、快諾を受け、現在までずっと続けている。
血圧測定「今日は、どうですかね?」
当初は血圧測定の方法は、会が進行している中を係が血圧計を持って会員の席を回るというやり方であった。その方法ではレクやリハビリ体操等、会進行の妨げになるかもしれないという事から山内※※の時から、会場入り口で健康チェックをする形になった。現在は会員も、会が始まる前には公民館に来て健康チェックを済ませ、会が始まる2時にはすでに席について待つようになった。
会員の男女の割合は、女性が多く、男性は極端に少ない。そのため男性の対象者にもボランティアから機会がある度に誘いの言葉を掛けるが、今はまだ早いと遠慮される。
対象者が高齢のため、加齢するに従って1人去り、2人去りして淋しい思いもあるが、また新しく入会する対象者がいて、会員数も毎年あまり変動のない数字を保っている。(本書35頁参照)
一方ボランティアも発足当時から関わった人が現在でも健在でがんばっている。このボランティアも年を重ねていくと、体力も衰え足腰も弱くなり、対象者になっていく。その代わりとして新しいボランティアが入ってきて世代交代となり、今後もこのような頼もしい形態は継承されて行くと思われる。
2008年(平成20)現在、いぶし銀会の組織運営のための活動資金は、読谷村役場27万6千円・社会福祉協議会5万円・渡慶次自治会20万円・その他寄付金等が充てられている。
○収入金の推移
いぶし銀会の発足は読谷村の「ゆいまーる共生事業」に深い関わりを持つ。「ゆいまーる共生事業」展開の背景となったのは、社協と喜名区の「公民館を拠点としたミニデイサービス事業」である。
高齢化が進み、老人の数が増えると地域の老人会活動も活発になっていった。その中で元気な老人の活動についていけなくなった高齢の老人達が、事あるごとに病院に行くなど、サロン感覚で病院に集まる傾向が出てきた。健康食品や器具などを販売する目的で地域で開催される、いわゆる「はいはい学校」へ行き、高い買い物をしてしまうなど、高齢者が持つ課題は様々なものがあった。そこで、読谷村社会福祉協議会(以下社協と略す)では上地※※事務局長(当時)を中心に、そのような高齢者を対象にしたふれあいサロン、ミニデイサービス活動を地域の公民館を拠点として展開していけないだろうかと模索した。そこで白羽の矢が立ったのが字喜名であった。喜名の民生委員と相談し合いながらテストケースとして1988年(昭和63)8月にミニデイサービス活動を始めた。当時渡慶次の民生委員だった大城※※は、喜名のミニデイサービス事業に習い、渡慶次でもそうした事業ができないものかと、社協との調整に入った。
社協では、喜名でのモデル事業の多大な成果を見て、読谷村全域でそうしたミニデイサービス事業の展開を図ろうとの主旨から、各字民生委員・区長をはじめとする公民館職員・老人会役員経験者、社協の弁当無料配達事業の地域ボランティア等に協力を求め、地域の人材が主体となって活動を展開できるような土台作りを始めていった。
1989年(平成元)8月には読谷村役場での介護予防活動「ゆいまーる共生事業」がスタートし、モデルケースとなった喜名福寿会には役場からの補助金が下りるようになった。
同年、大城※※・新垣※※の両名は渡慶次まつりに於いてバザーを開催し、その収益金が1万9千円となった。1年目の収益金は婦人会の60周年事業へと寄付をしたが、2年目の収益金を「福祉関係に使用したい」という思いから、「ゆいまーる共生事業」の渡慶次での展開に向けて動き出した。1990年(平成2)新垣※※が民生委員になると、渡慶次出身の民生委員が2人となり、事業の展開へ向けての準備が整うと、2人で喜名福寿会へ見学に行った。すると、そこに参加しているお年寄りの生き生きとした目の輝き、楽しそうな雰囲気を目の当たりにして感動し、「渡慶次にもこのような組織をぜひ作ろう」と決意したと振り返る。福寿会に補助金等の申請先や方法を聞き、早速渡慶次も補助金交付を受けるため、社協の上地※※事務局長や、役場にいた当字出身の与那覇※※厚生課長に相談した。与那覇※※は、「大変だよ」と2人の事を心配してくれたが、それでも「ぜひやりたい」という2人の強い願いから、役員や規約等の準備をすれば翌年度の4月から補助金交付が出来るよう手配するとのことで話がまとまった。
"身体の障害や、高齢のため老人会活動に参加できない者、1人暮らしの高齢者等の健康づくり、生きがいづくり"を目的に揚げて、組織結成の主旨に賛同する者に呼びかけをした。役員は新垣※※と大城※※の2人で検討し、会長を玉城※※、副会長を山内※※にそれぞれ要請、承諾を得た。また、対象者となる人々の家を1軒1軒訪問し、対象者が公民館に来やすいよう呼びかけ、納得のいくまで話し合いを続けた。最終的に、対象者16名、ボランティア8名、それに公民館職員もボランティアとして参加することになった。
1991年(平成3)4月、はじめは「渡慶次福祉会」の名で、対象者・ボランティア、社協職員、役場関係者が出席する中、開講式を行い結成に至った。村内では喜名に次いで2番目のゆいまーる共生事業団体の発足となった。
結成の翌月5月14日からは、開講式を行ったホールではなく、「畳の部屋が良い」との対象者の声を聞き入れ、会議室で開かれた。その日に、対象者・ボランティアで意見を出し合い、会の名称について話し合った。「輝く会」などの意見が出されたが、最終的に玉城※※会長の「皆で輝く老人になりましょう」との意味を込めた「渡慶次福祉いぶし銀会」の案に決定した。
発足当初は役場より1回5千円の補助金をもらい、そこからおやつ代を捻出していた。当時はボランティアの態勢がまだ整っていなかったこと、多くのボランティアが都合により、活動を続けられなかったことなどがあり、発会から約半年後には新垣※※と大城※※の2人で人数分(対象者・ボランティア合わせて30人分程)のおやつを作ってまかなった。また、公民館から遠い所に住む者や、身体に障害がある者などは車で迎えに行き、参加してもらっていた。この送迎は、協力者が現れるまで3年半程大城※※が1人で続けた。
マイクを片手に、与那覇※※さん
活動の内容は、現在のように決まったプログラムはなく、対象者にマイクを持たせ、話や歌などの持ち芸を発表してもらうことが多かった。主な参加者では儀間※※(新屋朝儀(ミーヤーアサギ))、国吉※※(国吉(クニシ))等がおり、また対象者がそれぞれ披露する持ち芸としては小橋川※※(小橋川(コバシガー)):小学校の運動会の歌、安田※※(前之川上(メーヌカーカン)):スーヤーヌパーパーの一人芝居、与那覇※※(蔵畑(クラハタ)):耳切坊主(ミミチリボージ)の歌等があった。
笑顔のおばあさんたち
(2) いぶし銀会対象者とボランティアとの関わり
いぶし銀会は発足してから今年で18年目を迎えるが、参加者(対象者)からは絶えず感謝の言葉が返ってくる。「ボランティアの皆さん本当にありがとうございます」と笑顔でそのような言葉を掛けられると、ボランティアももっとお世話してあげようとやる気が増す。
このいぶし銀会活動の展開による波及効果もいろいろな面で現れており、参加者の変化としては、会活動に参加することで元気を取り戻し、家でも1人で食事を摂っていた者が家族と会の活動を話し、団欒しながら食事をするようになったといった話が聞こえるようになった。さらに参加者の家族からも、家庭での会話が増えて家が明るくなったことや、いぶし銀会参加者を通じて家族も地域との関係が深まったという事例もあった。また、子ども会や青年会など各種団体との交流が行われると、道で会うと挨拶を交わすなどして世代間交流が進んだ。反響の大きさは、寄付金増にもつながり、おやつに使って欲しいということで野菜や果物、作物の差し入れなど、地域の協力もしだいに大きくなっていった。
この事業を通して、青洋会からのボランティアや地域の保健師、看護師経験者等、一般ボランティアだけでなく、医療等の知識技術を持った専門ボランティアなど、地域の人材開拓にもつながった。
現在でも毎回、会の始めに血圧測定や軽い問診等の健康チェックが行われているが、健康チェックの係は役場より派遣される形で行われていた。知花※※、知花※※、与那覇※※、儀間※※、大城※※がそれぞれ1〜2年ずつ担当し、2003年(平成15)の玉城※※会長時にやまびこ薬局の山内※※に常時来てもらえるよう要請、快諾を受け、現在までずっと続けている。
血圧測定「今日は、どうですかね?」
当初は血圧測定の方法は、会が進行している中を係が血圧計を持って会員の席を回るというやり方であった。その方法ではレクやリハビリ体操等、会進行の妨げになるかもしれないという事から山内※※の時から、会場入り口で健康チェックをする形になった。現在は会員も、会が始まる前には公民館に来て健康チェックを済ませ、会が始まる2時にはすでに席について待つようになった。
会員の男女の割合は、女性が多く、男性は極端に少ない。そのため男性の対象者にもボランティアから機会がある度に誘いの言葉を掛けるが、今はまだ早いと遠慮される。
対象者が高齢のため、加齢するに従って1人去り、2人去りして淋しい思いもあるが、また新しく入会する対象者がいて、会員数も毎年あまり変動のない数字を保っている。(本書35頁参照)
一方ボランティアも発足当時から関わった人が現在でも健在でがんばっている。このボランティアも年を重ねていくと、体力も衰え足腰も弱くなり、対象者になっていく。その代わりとして新しいボランティアが入ってきて世代交代となり、今後もこのような頼もしい形態は継承されて行くと思われる。
2008年(平成20)現在、いぶし銀会の組織運営のための活動資金は、読谷村役場27万6千円・社会福祉協議会5万円・渡慶次自治会20万円・その他寄付金等が充てられている。
○収入金の推移
1991年 | 1992年 | 1993年 | 1994年 | 1995年 | 1996年 | 1997年 | 1998年 | 1999年 | |
助成金 渡慶次自治会 読谷村役場 社協 |
|||||||||
60,000 | 60,000 | 84,000 | 100,000 | 200,000 | 200,000 | ||||
120,000 | 120,000 | 120,000 | 120,000 | 120,000 | 136,200 | 141,600 | |||
保険金(村より) | 20,880 | 31,490 | 31,490 | ||||||
雑収入 | 7,500 | 12,845 | 20,160 | 26,818 | 6,711 | 988 | |||
前年度より の繰越金 |
20,647 | 54,807 | 23,530 | 1,350 | 550 | 6,311 | 4,278 | ||
合計 | 148,147 | 247,652 | 223,690 | 226,230 | 247,368 | 380,712 | 378,356 |
2000年 | 2001年 | 2002年 | 2003年 | 2004年 | 2005年 | 2006年 | 2007年 | 2008年 | |
助成金 渡慶次自治会 読谷村役場 社協 |
|||||||||
200,000 | 300,000 | 200,000 | 200,000 | 200,000 | 200,000 | 200,000 | 200,000 | 200,000 | |
151,600 | 389,400 | 293,300 | 252,500 | 287,000 | 312,000 | 281,000 | 274,000 | 276,000 | |
50,000 | 50,000 | 50,000 | 50,000 | 50,000 | 50,000 | 50,000 | 50,000 | ||
保険金 ( 村より) |
31,490 | 31,490 | 31,490 | 31,490 | 31,490 | 31,490 | 31,490 | 31,490 | 31490 |
雑収入 | 102 | 33 | 0 | 1,133 | 2,262 | 1,132 | 49,190 | 252 | 206 |
前年度より の繰越金 |
3,619 | 4,204 | 8,853 | 5,288 | 7,985 | 8,305 | 4,609 | 5,685 | 7,699 |
合計 | 386,811 | 775,127 | 583,643 | 540,411 | 578,737 | 602,927 | 616,289 | 562,327 | 565,395 |
2 いぶし銀会1日の流れ
3 会員
高齢者と身体の不自由な人(2008年(平成20)3月31日現在)
対象者 56名 ボランティア 38名
○会員数の推移
対象者 56名 ボランティア 38名
○会員数の推移
※1996年度(平成8) はデータなし。
1991年(H3) | 1992年(H4) | 1993年(H5) | 1994年(H6) | 1995年(H7) | 1996年(H8) | 1997年(H9) | 1998年(H10) | 1999年(H11) | |
会員数 | 23 | 27 | 36 | 39 | 39 | 50 | 47 | 52 | |
ボランティア | 14 | 17 | 19 | 20 | 19 | 27 | 31 | 32 |
2000年(H12) | 2001年(H13) | 2002年(H14) | 2003年(H15) | 2004年(H16) | 2005年(H17) | 2006年(H18) | 2007年(H19) | 2008年(H20) | 1999年(H11) |
会員数 | 56 | 66 | 64 | 58 | 59 | 58 | 57 | 54 | 56 |
ボランティア | 30 | 31 | 31 | 32 | 30 | 32 | 37 | 37 | 38 |
4 定例日
毎月の第2・4火曜日の午後2時〜4時まで
約2時間、公民館で対象者とボランティアがふれあい活動をする。
約2時間、公民館で対象者とボランティアがふれあい活動をする。
5 主な年間行事
4月 ふれあい総会
6月 幼稚園児との交流会
7月 子ども会との交流会
8月 在宅介護支援センターによる勉強会
9月 前期合同誕生会
10月 米寿合同祝賀会
野外見学
11月 読谷診療所の先生方による健康講話
12月 忘年会
1月 生年合同祝賀会
3月 後期合同誕生会
ボランティア研修会
6月 幼稚園児との交流会
7月 子ども会との交流会
8月 在宅介護支援センターによる勉強会
9月 前期合同誕生会
10月 米寿合同祝賀会
野外見学
11月 読谷診療所の先生方による健康講話
12月 忘年会
1月 生年合同祝賀会
3月 後期合同誕生会
ボランティア研修会
6 特筆すべきこと
発足10周年記念祝賀会と思い出集を発刊
2001年(平成13)9月25日、当時の安田※※会長を中心に、祝賀会や対象者・ボランティアの10年間の思い出を綴った思い出集を発刊した。
沖縄県社会福祉大会において表彰を受ける。
2002年(平成14)10月17日、多年の地域福祉活動による社会福祉への貢献が認められ、沖縄県社会福祉大会において大会長賞受賞。
読谷村社会福祉協議会会長表彰を受ける。
2005年(平成17)11月18日、多年にわたる地域福祉ボランティア活動による社会福祉への貢献が認められ、読谷村社会福祉協議会会長賞を受賞。
2001年(平成13)9月25日、当時の安田※※会長を中心に、祝賀会や対象者・ボランティアの10年間の思い出を綴った思い出集を発刊した。
沖縄県社会福祉大会において表彰を受ける。
2002年(平成14)10月17日、多年の地域福祉活動による社会福祉への貢献が認められ、沖縄県社会福祉大会において大会長賞受賞。
読谷村社会福祉協議会会長表彰を受ける。
2005年(平成17)11月18日、多年にわたる地域福祉ボランティア活動による社会福祉への貢献が認められ、読谷村社会福祉協議会会長賞を受賞。
7 外部団体の来訪(見学・研修・交流)
読谷村の「ゆいまーる共生事業」は「予防介護」の観点から、他地域からも注目されている。その中でも、地域と相互に強い関わりを持ちながら活動を展開しているいぶし銀会の活動は読谷村内外、また県外からも多くの研修や見学者が訪れている。発足から現在までのいぶし銀会への来訪者及び団体を以下に記す。(市町村名は当時のまま)
厚生省・県福祉課職員一行の視察、役場職員が案内する。県保健連合会職員一行。久米島具志川老人会一行。粟国村、竹富町、玉城村、糸満市、浦添市、沖縄市の社協職員による視察。中城村當間のボランティア・対象者一行によるゆいまーる事業立ち上げのための視察研修。西原町議会議員及び社協職員一行。嘉手納町中央区のゆいまーる事業ボランティア一行の視察・交流。読谷村民生委員老人部、読老連評議員(各字の老人会長)による視察研修。大湾わぼくの会一行、ゆいまーる事業立ち上げのための視察研修。中部老連女性部一行視察研修。神戸芦屋市立精道中学校の生徒との交流・研修。今帰仁村民生児童委員一行、鹿児島県隼人町社協職員一行の視察研修。読谷の里デイケア利用者一行との交流会。読谷村議会文教厚生委員会一行、調査研修のため来館。
厚生省・県福祉課職員一行の視察、役場職員が案内する。県保健連合会職員一行。久米島具志川老人会一行。粟国村、竹富町、玉城村、糸満市、浦添市、沖縄市の社協職員による視察。中城村當間のボランティア・対象者一行によるゆいまーる事業立ち上げのための視察研修。西原町議会議員及び社協職員一行。嘉手納町中央区のゆいまーる事業ボランティア一行の視察・交流。読谷村民生委員老人部、読老連評議員(各字の老人会長)による視察研修。大湾わぼくの会一行、ゆいまーる事業立ち上げのための視察研修。中部老連女性部一行視察研修。神戸芦屋市立精道中学校の生徒との交流・研修。今帰仁村民生児童委員一行、鹿児島県隼人町社協職員一行の視察研修。読谷の里デイケア利用者一行との交流会。読谷村議会文教厚生委員会一行、調査研修のため来館。
精道中学校との交流会から
8 歴代役員及びボランティア
本編参照
○参考資料
「読谷山巡り」はいぶし銀会でよく歌われたものです。
「読谷山巡り」
1.中頭郡の北の方
国頭郡に隣りせる
二方里あまる我が村は
甘蔗に名を得し所なり
2.東は櫓の峰高く
西は残波の水深し
中に包まる字字は
護佐丸城仰ぎつつ
3.村を貫く県道と
それより分かれる村道は
中央左右に連なりて
行き来の友と類なし
4.座喜味や親志や喜名、長田
伊良皆、牧原、比謝、大湾
古堅、渡具知、楚辺、上地、波平
高志保、儀間、渡慶次
5.宇座や瀬名波や長浜と
一万五千の同胞は
村の誉れを我がものと
日日磨く自治のため
男性会員も笑顔で参加
渡慶次福祉いぶし銀会会則
(名称と事務所の所在)
第1条 本会は、渡慶次福祉いぶし銀会と称し、事務所を渡慶次公民館内に置く。
(目的)
第2条 本会は、渡慶次行政区に住む高齢者や、心身障害者などの要援護者に対し公民館を拠点として、ふれあいサロン事業を行うと共に、区民の健康維持及び保健福祉に関する啓蒙啓発を行いもって地域住民の福祉健康増進に寄与することを目的とする。
(事業)
第3条 本会は、前条目的達成のために次の事業を行う。
(1)高齢者や、心身障害者を対象とした、公民館を拠点としてのふれあい事業。
(2)区民に対して、福祉保健についての啓蒙啓発活動。
(3)血圧測定などによる健康チェック。
(4)世代間交流事業。
(5)その他目的達成に必要な事業。
2 ふれあいサロン事業は原則として、月2回、1回2時間程度とし、年間24回を目安とする。
(要援護者の対象)
第4条 要援護者の対象は、渡慶次区に住む高齢者や心身障害者とする。
(組織)
第5条 各共生事業の活動を展開するため、区民並びに公民館職員、老人クラブ、婦人会などの会員の協力者及びボランティアをもって会員とする。
(役員)
第6条 本会に次の役員を置き、任期は2年とする。但し再選を妨げない。補欠のため就任した役員の任期は、前任者の残任期間とする。
(1)会長 1名
(2)副会長 1名(幹事を兼務する)
(3)理事 若干名
2 会長及び副会長は役員会で選出し、総会の承認を得るものとする。理事は会長が委嘱する。
(役員の任務)
第7条 会長は本会を代表し会務を掌理する。
2 副会長は会長を補佐し会長事故ある時はその職務を代理する。
3 理事は役員会において本会運営事項を審議決定する。
(会議)
第8条 本会の会議は役員会並びに総会とし次のとおり会長が招集する。
(1)総会 毎年1回4月に行う。
(2)役員会は会長が必要と認めたとき。
2 会議は、会長が議長となり議事は出席者の過半数を以って決する。
(活動費)
第9条 本会の活動費は、村、自治会よりの助成金、その他の収入を以てあてる。
(会計年度及び収支決算)
第10条 本会の会計年度は毎年4月1日から翌年3月31日迄とする。
2 年度中の事業計画並びに収支予算及び決算は役員会で承認を得て総会に報告する。
(共生事業研修会)
第11条 共生事業の向上を図るため、役員及び関係者の連絡会研修会を開催する。
(帳簿書類)
第12条 本会の活動を推進するため次の諸帳簿を置く。
(1)会則綴り
(2)利用者名簿(対象者)
(3)役員及び会員名簿
(4)会計簿
(5)活動記録簿
(6)備品台帳
(7)総会資料
(8)健康チェック表
(会則の変更)
第13条 本会会則の変更、又は会則に定めてない事項については役員会で決するものとする。
附則
この会則は、平成10年4月14日から施行する。
この会則は、平成18年3月16日に一部改正し、同年4月1日より施行する。