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第7章 むらづくり―各種団体の活動―
第4節 渡慶次白百合会
1 白百合会の結成
1962年(昭和37)頃から婦人会に高年部をつくろうとの要望が会員から出された。その理由として、
(1) 45歳〜64歳までの年齢層の婦人は、ほとんどが嫁を迎え、時間的に余裕がある。
(2) 婦人会やその他の集まりの場には、つとめて嫁を参加させるために、孫の面倒や留守番役にまわり、ややもすると家に閉じこもりがちで、憩いの場がせばめられ、変容する社会の中で取り残されてしまうことになる。
(3) この年齢層の婦人は、貧困と戦禍を生き抜いたために芯が強く積極性がある。
(4) その他、特にレクリエーションの場では、年齢の格差があると控えめになりがちで、真の喜びと楽しみが得られない。家庭を留守にしないためにも嫁と別に集いの場を持った方が望ましい。
以上のような理由で婦人会役員に提案され、それぞれの年齢層にあった集いを持つことで会活動に新しい風を吹き込むことが期待されるとの多数の意見で、年度途中ではあったが、組織化することになった。
1963年(昭和38)10月、婦人会の下部組織として発足し、婦人会長が部長を兼ね運営がなされた。しかし、実際に活動してみると、婦人会長兼任では、会長の負担が重く、その組織の持つ特性が生かされなかった。そこで、いろいろな面から検討した結果、1965年(昭和40)1月に自主的運営へと移行することにした。
2 主たる活動経過
(1) 1963年(昭和38)から1964年(昭和39)の2か年間は、婦人会長が兼任し、レクリエーションと雑談を中心に雰囲気づくりをする。経費も婦人会の予算から捻出する。
(2) 1965年(昭和40)、婦人会長兼任では負担が重く、本来の目的である年齢層の持ち味と特色を生かすことは不可能ではないかとの会員の声で役員を別に選出し、そして名称を「白百合会」とした。同時に「白百合会の歌」ができる。
(3) 事業計画のもとに予算も独自に計上し、字の予算審議委員会に婦人会と白百合会の現状を訴えた。そして補助金を申請し10ドルの補助金を受けることになり、会員の負担金と合わせて自主的運営のスタートとなった。1968年(昭和43)に年齢を引き上げ50歳〜64歳とした。その後、白百合会がきっかけとなり読谷村婦人会に三層組織ができ、他集落へも波及効果があった。
(4) 明るく住みよい社会、そしてお互いの幸福な生活を営むにはまず家庭が平和でなければならない。では健全な家庭にするにはどうあらねばならないかをメインテーマにして、次のような具体的な活動を行なった。
嫁と姑との人間関係について話し合う座談会の開催
家庭円満の秘訣について話し合う場の設定
「家の光」の記事を活用し、研究会及び意見交換会の開催
若妻部、中年部との意見交換会
生年合同祝賀会のあり方についての懇談会
家庭菜園の実習
老後の生活設計について学ぶ会
1泊2日の社会見学及び月見会、忘年会
孫との関わり方について学ぶ会
(5) その他
1968年(昭和43)12月、読谷村婦人会中間総会にて活動報告。
1969年(昭和44)6月中部連合区主催及び、読谷村婦人会研究発表会で実践報告。同年7月読谷村婦人総会にて表彰を受ける。
儀間※※さんのブラジルからの帰郷歓迎会
1973年(昭和48)11月に10周年を迎え、式典と記念誌を発刊、1978年(昭和53)12月に15周年記念事業を行なう。
1985年(昭和60)9月25日〜26日、九州地区地域婦人大会に三層組織による婦人会活動実践報告を行なう。
白百合会は、あくまでも自主的に作られた会で、誰にも拘束されない自由な会であり、自らの人生を豊かにするためにあるのだという会員の認識と自覚はますます会を根強いものにした。若妻部、中年部にやる気を起こさせる刺激剤となり、婦人会の三層組織化への牽引力にもなった。
このように先進的で活発な組織であったが、高年部層ゆえに年を重ねるごとに会活動は停滞し、解消を余儀なくされた。
渡慶次白百合会の歌
作詞 山城※※
作曲 国吉※※
歌 国吉※※
1.心ゆかしさや 白百合の如(グトゥ)に
首折りて咲ちゅる花ぬ美(チュラ)さ
首折りて咲ちゅる花ぬ美さ
2.細(フソ)さある茎に節々(フシブシュ)よ入りて
嵐ある野辺に耐えて咲ちゅん
嵐ある野辺に耐えて咲ちゅん
3.花咲ちゅる時期(トチ)や 根(モト)や種子実(サニミヌ)て
子孫(クヮウマガ)だちょて匂い立つさ
子孫だちょて匂い立つさ
4.梅の木に群りる うぐひしぬ心
うし連りて遊ば 百合が島に
うし連りて遊ば 百合が島に
5.譲(ユジ)る身と心 波風やたたん
百合ぬ花とむり 姑(シト)ぬ道ん
百合ぬ花とむり 姑ぬ道ん
6.心から姿 白百合ぬ如(グトゥ)に
汚(チガ)れぬんままに 真白(マシラ)咲かな
汚れぬんままに 真白咲かな
作詞 山城※※
作曲 国吉※※
歌 国吉※※
1.心ゆかしさや 白百合の如(グトゥ)に
首折りて咲ちゅる花ぬ美(チュラ)さ
首折りて咲ちゅる花ぬ美さ
2.細(フソ)さある茎に節々(フシブシュ)よ入りて
嵐ある野辺に耐えて咲ちゅん
嵐ある野辺に耐えて咲ちゅん
3.花咲ちゅる時期(トチ)や 根(モト)や種子実(サニミヌ)て
子孫(クヮウマガ)だちょて匂い立つさ
子孫だちょて匂い立つさ
4.梅の木に群りる うぐひしぬ心
うし連りて遊ば 百合が島に
うし連りて遊ば 百合が島に
5.譲(ユジ)る身と心 波風やたたん
百合ぬ花とむり 姑(シト)ぬ道ん
百合ぬ花とむり 姑ぬ道ん
6.心から姿 白百合ぬ如(グトゥ)に
汚(チガ)れぬんままに 真白(マシラ)咲かな
汚れぬんままに 真白咲かな
郷土の民話・伝説の講話(1978年)
講師 名嘉真※※
1966年〜1972年の歴代会長