続 渡慶次の歩み
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第7章 むらづくり―各種団体の活動―
第7節 渡慶次に於ける青少年健全育成活動の歴史
 
 丸数字2 補導員活動日誌抜粋(特にタイトルはないがメモが残されている)
 学事奨励会の資料集に紛れ込んでいた補導員の活動についての資料を「補導員活動日誌抜粋」と命名することにした。それには1969年から70年にかけての活動メモが残されており、当時の様子を知る貴重な資料なので要約する。
 1966年に村から各字に補導員が5人委嘱されて、補導活動が開始された。その当時は夏期の水難事故防止に重点が置かれ、海岸沿いのパトロールを行い、問題傾向の生徒に対しては、その父兄に遠慮してあたらずさわらずの状態で過ごして来た。この状態を放置した場合の今後の問題について、あらゆる機会で討議し、補導活動の強化が打ち出された。そこで1969年4月、補導員改選の時に、若い人から3人増員して8人が選出され、さらに1970年の4月、2人増員して補導員は10人となった。
 
1969年4月26日
 字渡慶次学事振興総決起大会(対象は父母)を学事奨励会が主催して行う。(当日の出席者130人)
1 大会を催した目的及び経過の説明
2 努力目標の確認
 A 帰る時間を守りましょう。
 B 元気な声で挨拶をしましょう。
3 小中学生の実態報告(各学校の部落出身の先生)
4 松田※※先生の青少年問題についての講演
 特に2のAを守ることによって、自分の子どもを事故から守り、また不良化防止にも役立つと同時に生活、時間のけじめをつけ、帰宅後の計画的な時間の利用方法が生まれてくる。(勉強、家事手伝いなど)
 1969年4月27日〜6月まで、前記の努力目標を周知徹底させる意味で毎日午後6時〜7時半頃まで、部落内はもちろん、ボーロ飛行場と海岸線をパトロールする。駐在の佐和田巡査も毎日というくらい、一緒になって補導活動を行う。
結果
 ほとんどの生徒は、その時間になるとどこで遊んでいようと、家に帰るようになるけれども、一部に於いてはもう少し父母の自覚が欲しい。
 また、ボーロ飛行場、海岸沿いのパトロール中、度々問題傾向の卒業生や生徒を発見、その都度補導せるもあまり効果なし。
 
1969年7月21日
 補導委員会を開催して夏休み期間中の補導計画について話し合う。
1 昼間は毎日、夜間は週2回水、土に決定する。
2 問題傾向の生徒については父母も交えて相談する。
3 今後は、問題の生徒指導については、現在のとおり補導を続けながら後輩とのつながりを断つ方法に重点を置く。
結果
 補導計画は90%達成できたと思うが、水難事故で部落内から1人、児童の犠牲者を出す。問題の生徒たちは休み期間中、各々アルバイトで仕事に就いたため、案外スムーズであった。
 
1969年9月
 問題の生徒4名を連れて、区長と僕(メモに署名がなく不明)の6名、公民館の庭石探しに本部へ行った。北山城で弁当を食べながらいろいろ話し合ってみると、個人個人は非常に素直そうであるが、グループになるとまたとんでもないことを引き起こしてしまう。
 
1969年10月28日
補導委員会
1 家に帰る時間の変更(冬時間5時)
2 夏休み、運動会を終えて、子ども達の気が緩みがちなので、引き締めるために、11月中、週2回水、土にパトロールすることを決める。
 この頃から車両窃盗始まる。
 11月からは、佐和田巡査、玉城君と3名、問題傾向の生徒の家庭訪問に重点を置く。
 
1969年12月20日
 佐和田、玉城の3名、補導パトロール中、S君(車両窃盗で鑑別所から出所して2日目)に会い、車の中で1時間ほど、いろいろと話し合い、就職するよう勧めた。その場で玉城君が散髪代の不足分(25¢(セント))をあげて、今までの長髪を短く切る。2、3日後にある会社に彼の就職を相談に行ったら、既に就職しているとのこと。その後は、まじめになり、去る4月に本土就職しているお母さんに近況を聞いたら元気にやっているとのこと。
 
1970年3月3日
補導委員会
 街路灯設置の件
1 設置費と電球代(1灯に年間5個宛支給)の予算請求を区長に提出すること。($160.00)
2 電気料金は設置場所周辺が負担。
3 設置場所は後日選定。
4 部落名義の街路灯3灯を個人名義に変更すること。
(3月8日)
 部落の予算審議委員会に於いて、下記の通り認められる。
  街路灯設置費 $160.00
  補導費  $ 50.00
 (これは補導委員会が請求したものではなく、区長が予算に組む)
(4月4日)
 当初計画の一部変更により$160.00から$202.08へ設置費の増額要請を区長を通じて行政委員会に諮った結果認められる。
 現在の街路灯数 
  部落が設置したもの 23灯
  個人で設置     2灯
  無料灯(村設置)  5灯
         計  30灯
 
1970年3月4日
 佐和田巡査が宮古署へ転勤辞令が出る。せっかく補導活動が軌道に乗りかかっている時期に、彼の転勤は痛い。最低2か年は居てもらいたかった。
 
1970年3月17日
 佐和田の後任、当山巡査と一緒に補導活動の開始。部落内、ボーロ飛行場と海外沿いの問題の場所を案内する。卒業式を控え、夜間パトロールに重点を置く。
 
1970年3月26日
 中学卒の本土就職者が3人居て、その中に問題傾向の少年が含まれていたため、激励の意味で儀間※※宅で送別会を催し、7時〜10時半頃まで彼らと話し合う。
 
1970年4月7日
 青少年保護育成(役所の主催)について、警察、役所、学校と父母の懇談会を催すも、父母の集まりが非常に悪いため、後日(4月19日)「学事奨励会」の場を利用し、警察にお願いしてもう一度映写会を持つことに。部落単位の映写会は偉い方の講演を聞くよりも効果があると考えられるので、今後も機会あるごとにやるべきだと思う。
 
1970年5月2日
 学事委員、補導委員と婦人会との懇談会(婦人会主催)に出席して、以下のことをお母さん方にお願いする。
1 自分の子どもを事故から守るため、また不良化から守るために「家に帰る時間を守りましょう」という吾々の努力目標を子どもの親として、徹底するよう努力してもらいたい。
2 自分の子どもの行動に不審の点がある時、また何か問題が起きた場合には、先生、補導員、駐在さん等と積極的に相談してもらいたい。何か問題が起きて、家庭訪問をした場合、隣近所や自分自身のメンツを気にしていやがる人がいる。しかし、問題が大きくなって始めて相談に応じる傾向が強い。これは逆である。
 
1970年5月8日
 当山巡査、玉城と僕が補導パトロール中、瀬名波のC君を与久田ビーチで発見し、話し合ってみると、働く意志のあることを確認したので、彼のお母さんも交えて相談してからY君(以前は問題の青年であったが、今はちゃんと仕事をしていて、C君の就職を世話してくれるという人)と会い、翌日から一緒に仕事に行くことになる。
 その後、度々家庭訪問するが本人は元気で毎日頑張っているとのこと。今では、僕たちの顔をまともに見て、話もできるようになる。就職してから1か月経過しているが、今のところ何もない。この状態だと大丈夫だと考えられる。
 
1970年6月
 玉城君がG君の就職を斡旋(モータープール)するも、1日だけ出て翌日から辞める。
 去年、渡慶次の部落に4名の問題傾向の少年が居たが、卒業と同時に1人は本土就職、1人は板金工、1人は大工としてまじめに働き、その後問題もないが、G君だけがどうにも手におえない。
補導活動を行う今後の問題点
1 補導は理論ではなく実践活動である。
2 父母、学校、警察と補導員は一体でならねばいかん。
3 学校と父母は自分自身のメンツにこだわらず、何か問題が起きた時には、必要に応じて、警察、補導員とも相談すべきである。
 
 丸数字3 「昭和52年度学事奨励会定期総会資料」
 「昭和52年度学事奨励会定期総会資料」によると
 昭和52年度の役員は
 会長 与那覇※※
 副会長 与那覇※※
 学事委員 玉城※※、大城※※、安田※※、宜保※※、山城※※、与那覇※※、玉城※※、与那覇※※、山内※※、与那覇※※
 補導員 神谷※※、与那覇※※、新垣※※、大城※※、儀間※※、宜保※※、儀間※※、仲村渠※※、与那覇※※、川上※※
の氏名があり、学事奨励会には正副会長の他に「学事委員」と「補導員」という役職があったことがわかる。他にも氏名はないが「教育隣組長」も各組に置かれていたようである。
 また、この年の資料には「学年別1ヶ年皆出席者数」、「6ヶ年皆出世者数(字内)」、「字別出席統計」もあり、順位も記入された一覧表などがある。
 
 丸数字4 字渡慶次学事奨励会会則(改正案)
 1970年(昭和45)4月19日に制定された字渡慶次学事奨励会会則が1980年(昭和55)年度に改正されることになり、その改正案が手元にあるので、その全文を掲載する。会則は、その組織の活動、形態等をまとめたものであり、活動内容を知る最も重要なものであると思うからである。
 
 第1章 総則
第1条 本会は字渡慶次学事奨励会と称す。
第2条 本会の事務所を字渡慶次公民館内に置く。
 第2章 目的
第3条 本会は渡慶次に籍を有する児童生徒の学習と生活の指導助言をするとともに学校側とも緊密なる連係をとりつつ会員相互の親睦をはかり会の円滑なる機能を発揮することをもって目的とする。
 第3章 事業
第4条 本会は前条の目的を達成するために次の事業を行う。
1 学事奨励会
2 研修会及び教育講演会
3 児童生徒の校外活動の指導
4 児童生徒の体育活動の育成指導
5 広報活動の推進
6 その他
 第4章 組織
第5条 本会は渡慶次に籍を有する全区民及び第3条の主旨に賛同するものをもって組織し運営する。
 第5章 機関
第6条 本会の運営を充実させるために次の機関を置く。
1 総務委員会
2 生活指導委員会
3 文化広報委員会
4 保健体育委員会
第7条 総務委員会は10名で構成し学事に関するすべてを企画し担当する。
第8条 生活指導委員会は10名で構成し児童生徒の校外活動を指導するとともに部落内防犯灯の整備に関することを担当する。
第9条 文化広報委員会は5名で構成し広報活動を担当する。
第10条 保健体育委員会は5名で構成し部活動及びレクリエーション、学校給食等に関する事を担当する。
第11条 評議委員会は総務委員と各委員会の正副委員長で以て構成しその任務権限は次の通りとする。
1 役員の選出
2 学事に関する事業計画及び収支予算の審議
 3 その他
 第6章 役員
第12条 本会に次の役員を置く。
  会長1名 副会長1名
  書記1名 会計1名
  委員長4名 副委員長4名
第13条 本会の会長、副会長、委員長、副委員長、委員は評議委員会で選出し総会の承認を得る。
第14条 本会の役員の任期は1か年とし、再選を妨げない。但し、補欠のため選出された役員は前任者の残任期間とする。
第15条 本会の役員の任務は次の通りとする。
1 会長は本会を代表し会務を総理する。
2 副会長は会長を補佐し会長事故ある場合はこれを代行する。
3 書記は本会の庶務を担当する。
4 会計は本会の会計事務を担当する。
5 委員長は委員会の運営を担当する。
第16条 本会の会長、副会長、委員長、副委員長は各学校の役員とならなければならない。
 第7章 総会及び委員会
第17条 本会の総会は毎年度3月末に開催する。但し会長が必要と認めた場合は臨時に開催することができる。
2 総会の議長は会長がこれにあたる。
3 総会の成立は会員の2分の1以上の出席がなければ開くことができない。但し、会員事故のため出席できない場合は、委任状をもって出席にかえるものとする。
第18条 総会に付すべき事項
1 会則の改廃
2 事業計画及び収支予算の承認
3 決算の承認
4 役員の承認
5 その他
第19条 評議委員会は必要に応じ会長が招集する。
第20条 委員会は委員長が必要と認めた時招集する。
 第8章 監査
第21条 本会に監査役3名を置く。
1 監査委員は当字の監査委員3名を会長が委嘱する。
2 監査委員は年4期に亘り監査しその結果を総会に報告しなければならない。
 第9章 会計
第22条 本会の会計年度は、毎年4月1日に始まり翌年3月末日に終わる。
第23条 本会運営のための経費は負担金、助成金、寄付金及びその他の収入をもってこれにあてる。
 第10章 帳簿
第24条 本会に次の帳簿を置く。
1 会則   2 役員名簿
3 会議録  4 会計簿
5 その他学事に関する資料綴
 
   附則
 本会則は1970年4月19日より施行する。
 本会則は1980年(昭和55)3月29日一部改正し、同日施行する。
 
 
 

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