続 渡慶次の歩み > 第7章 むらづくり―各種団体の活動― > 第7節 渡慶次に於ける青少年健全育成活動の歴史
第7章 むらづくり―各種団体の活動―
第7節 渡慶次に於ける青少年健全育成活動の歴史
3 学事奨励会から青少年健全育成会へ
学事奨励会会議録から
学事奨励会から青少年健全育成会へ組織替えをする前年1982年(昭和57)度の1年間の会議録(記録者仲村※※)が残っているので、それから当時の様子をみることにしよう。
1982年(昭和57)4月28日(水)学事評議委員会では、年度事業計画の取り組みについてが議題とされ、事業計画については各委員の責任を尊重して、分担して行うこととする。「学事奨励会」の持ち方については例年通りで小学の部と中学の部として持つことにす、とある。
1982年(昭和57)5月12日(水)第1回字教師の集い(懇談会)の記録では、
(イ)学事奨励会年間事業計画への協力について
(ロ)「学事奨励会」の持ち方について
(ハ)その他
が協議事項となっている。
(イ)の年間事業計画では、夏休みのラジオ体操の持ち方について論議されている。中学生でもきちんと体操を覚えてなく、指導できていないので、役員(父母指導者)も一緒に覚えて当番制でやる方式を継続すべきといった意見が教師たちの意見として述べられている。
教師と父母らの懇談会の様子
(ロ)では時間厳守で進めること、字担任紹介は校長のみで手際よく進めて、懇談の時間を多く取るようにした方がよい。新入学児童の自己紹介は事前に学校側に指導を依頼した方がいい。
中学生の参加については、山城※※にお願いする。保護者印を捺印させて参加させる方法をとる、などと記されている。
最後に会長の締めの挨拶で、今年をステップに来年度に向けて反省して励んでいきたいと思いますので、これを機会に学事(奨励会含む)へのご協力方をお願いします、と記されており、当時何らかの問題があったことが推測される。
1982年(昭和57)6月22日(火)
教育講演会
「親と子の架け橋(親業訓練)」と題して知念※※による講演会が開催された。内容は親が変わらなければ子どもも変わらないという主旨の講演であった。
1982年(昭和57)7月13日(火)
字別懇談会
子どもたちに夏休みを有意義に過ごして貰うため、毎年こうした懇談会が開催されていた。
1982年(昭和57)7月16日(金)の学事評議委員会では、夏休みの各種事業について協議されている。補導巡視については生活補導委員会を招集して、巡視を行うこと、親子水泳教室は8月1日(日)午前10時からテーガニクで開催する、対象は小中学生で、弁当飲み物は持参させることが決められた。さらに、夏休みラジオ体操については子ども会育成会長と相談して父母の協力を願いたい。また、子ども会育成のためにも子ども会のジュニアリーダーに指導させたい。8月27日、28日に月の出、潮の満ち引きに合わせて夏の星座を調べる「天体観測」を開催することなどが記されている。
1982年(昭和57)10月20日(水)学事役員会が開かれた。決定事項は以下のとおり。
(1) 歩け歩け大会について区民総出で行うこととする。
日時:11月3日(水)
場所:座喜味城跡、弁当持参
(2) 親子ソフトボール大会が12月の計画で組まれているので、実施日時は役員会を開催して決める。
(3) 天体観測(冬)については、会長を中心に進めることとする。
(4) 広報第3号発刊については早めに出すこと。
この日の実際の発言のやりとりの中に会長から「年度内に学事の会則、事業を検討する役員会を持ちたいと思いますが」と述べたところで、ある委員は「これはたいへん結構なことです。次年度へ向けて予算編成もあるので、2月の役員会で検討してください」との発言が記されて、それを受けて会長は、総務と執行部でたたき台を作って、総会に向けて検討していく、という主旨の発言をしている。
これは、この頃から組織変更の準備があったことを示しているものとして興味深い。
組織名称を「学事奨励会」から「渡慶次青少年健全育成会」に変更することを決めた1983年(昭和58)の議事録(記録者仲村※※)から当時の様子を見ることにする。
1983年(昭和58)7月12日(火)に中学校PTA懇談会が公民館で開催されている。当時は学校が荒れており、社会的にも大きな問題として取り上げられていた。そこで渡慶次区民総出で「青少年健全育成区民総決起大会」を1983年(昭和58)7月30日(土)午後6時から開催することを、7月20日(水)の各種団体長合同会議で決定している。
決定事項
1 大会名称「青少年健全育成区民総決起大会」とする。
2 各種団体共催とし、区民総参加の方向で努力する。
3 大会準備から執行まで区民独自の取り組みとする。但し、助言者として1名村教育委員会からの派遣を依頼する。
4 日時は7月30日(土)午後6時より大会を開催する。
5 前日及び当日宣伝活動をする。
6 決議文、スローガン、資料の作成者を人選する。
7 会順を次のとおりとする。
司会 与那覇※※
開会のことば 与那覇※※
経過報告 山城※※
学事会長挨拶 宜保※※
公民館長挨拶 玉城※※
意見発表
父親代表 安田※※
母親代表 与那覇※※
中学生代表 山城※※
青年代表 小橋川※※
老人代表 大城※※
助言者挨拶 新崎※※
大会決議及びスローガン採択 山内※※
ガンバロー三唱 知花※※
閉会のことば 宜保※※
「がんばろー」を三唱する参加者たち
こうした青少年健全育成区民総決起大会を開催せざるを得ないほど、学校が荒れ、社会問題化していた状況に鑑み、青少年の健全育成を重点にした活動を地域で起こし、地域全体で取り組む体制づくりを必要としたことから、それまでの学事奨励会から青少年健全育成会へと1984年(昭和59)3月に組織替えを行うことになったのである。
組織の名称は変わっても、活動内容は「学事奨励会」とほとんど同じであり、ここでは省略する。
残っている手元の資料から、平成元年度の渡慶次青少年健全育成会の役員及び組織図を掲載する。
4 「子ども会」と「子ども会育成会」
渡慶次子ども会の前身となったのは、1947年(昭和22)5月27日に発足した「少年自治会」(中学生)である(字渡慶次年表より)。残念ながら当時の資料が手元にないが、当時中学生であった人びとの話から、戦後復興へ向けて中学生達も自主的な活動を展開しようとの思いを持った「自治会」としての組織化であった。
さて、本論に入ろう。1977年(昭和52)の「渡慶次子ども会・渡慶次子ども会育成会」の結成大会の資料から、その結成に至る経過等をみることにする。
渡慶次子ども会結成経過−1977年(昭和52)−
学事奨励会から青少年健全育成会へ組織替えをする前年1982年(昭和57)度の1年間の会議録(記録者仲村※※)が残っているので、それから当時の様子をみることにしよう。
1982年(昭和57)4月28日(水)学事評議委員会では、年度事業計画の取り組みについてが議題とされ、事業計画については各委員の責任を尊重して、分担して行うこととする。「学事奨励会」の持ち方については例年通りで小学の部と中学の部として持つことにす、とある。
1982年(昭和57)5月12日(水)第1回字教師の集い(懇談会)の記録では、
(イ)学事奨励会年間事業計画への協力について
(ロ)「学事奨励会」の持ち方について
(ハ)その他
が協議事項となっている。
(イ)の年間事業計画では、夏休みのラジオ体操の持ち方について論議されている。中学生でもきちんと体操を覚えてなく、指導できていないので、役員(父母指導者)も一緒に覚えて当番制でやる方式を継続すべきといった意見が教師たちの意見として述べられている。
教師と父母らの懇談会の様子
(ロ)では時間厳守で進めること、字担任紹介は校長のみで手際よく進めて、懇談の時間を多く取るようにした方がよい。新入学児童の自己紹介は事前に学校側に指導を依頼した方がいい。
中学生の参加については、山城※※にお願いする。保護者印を捺印させて参加させる方法をとる、などと記されている。
最後に会長の締めの挨拶で、今年をステップに来年度に向けて反省して励んでいきたいと思いますので、これを機会に学事(奨励会含む)へのご協力方をお願いします、と記されており、当時何らかの問題があったことが推測される。
1982年(昭和57)6月22日(火)
教育講演会
「親と子の架け橋(親業訓練)」と題して知念※※による講演会が開催された。内容は親が変わらなければ子どもも変わらないという主旨の講演であった。
1982年(昭和57)7月13日(火)
字別懇談会
子どもたちに夏休みを有意義に過ごして貰うため、毎年こうした懇談会が開催されていた。
1982年(昭和57)7月16日(金)の学事評議委員会では、夏休みの各種事業について協議されている。補導巡視については生活補導委員会を招集して、巡視を行うこと、親子水泳教室は8月1日(日)午前10時からテーガニクで開催する、対象は小中学生で、弁当飲み物は持参させることが決められた。さらに、夏休みラジオ体操については子ども会育成会長と相談して父母の協力を願いたい。また、子ども会育成のためにも子ども会のジュニアリーダーに指導させたい。8月27日、28日に月の出、潮の満ち引きに合わせて夏の星座を調べる「天体観測」を開催することなどが記されている。
1982年(昭和57)10月20日(水)学事役員会が開かれた。決定事項は以下のとおり。
(1) 歩け歩け大会について区民総出で行うこととする。
日時:11月3日(水)
場所:座喜味城跡、弁当持参
(2) 親子ソフトボール大会が12月の計画で組まれているので、実施日時は役員会を開催して決める。
(3) 天体観測(冬)については、会長を中心に進めることとする。
(4) 広報第3号発刊については早めに出すこと。
この日の実際の発言のやりとりの中に会長から「年度内に学事の会則、事業を検討する役員会を持ちたいと思いますが」と述べたところで、ある委員は「これはたいへん結構なことです。次年度へ向けて予算編成もあるので、2月の役員会で検討してください」との発言が記されて、それを受けて会長は、総務と執行部でたたき台を作って、総会に向けて検討していく、という主旨の発言をしている。
これは、この頃から組織変更の準備があったことを示しているものとして興味深い。
組織名称を「学事奨励会」から「渡慶次青少年健全育成会」に変更することを決めた1983年(昭和58)の議事録(記録者仲村※※)から当時の様子を見ることにする。
1983年(昭和58)7月12日(火)に中学校PTA懇談会が公民館で開催されている。当時は学校が荒れており、社会的にも大きな問題として取り上げられていた。そこで渡慶次区民総出で「青少年健全育成区民総決起大会」を1983年(昭和58)7月30日(土)午後6時から開催することを、7月20日(水)の各種団体長合同会議で決定している。
決定事項
1 大会名称「青少年健全育成区民総決起大会」とする。
2 各種団体共催とし、区民総参加の方向で努力する。
3 大会準備から執行まで区民独自の取り組みとする。但し、助言者として1名村教育委員会からの派遣を依頼する。
4 日時は7月30日(土)午後6時より大会を開催する。
5 前日及び当日宣伝活動をする。
6 決議文、スローガン、資料の作成者を人選する。
7 会順を次のとおりとする。
司会 与那覇※※
開会のことば 与那覇※※
経過報告 山城※※
学事会長挨拶 宜保※※
公民館長挨拶 玉城※※
意見発表
父親代表 安田※※
母親代表 与那覇※※
中学生代表 山城※※
青年代表 小橋川※※
老人代表 大城※※
助言者挨拶 新崎※※
大会決議及びスローガン採択 山内※※
ガンバロー三唱 知花※※
閉会のことば 宜保※※
「がんばろー」を三唱する参加者たち
こうした青少年健全育成区民総決起大会を開催せざるを得ないほど、学校が荒れ、社会問題化していた状況に鑑み、青少年の健全育成を重点にした活動を地域で起こし、地域全体で取り組む体制づくりを必要としたことから、それまでの学事奨励会から青少年健全育成会へと1984年(昭和59)3月に組織替えを行うことになったのである。
組織の名称は変わっても、活動内容は「学事奨励会」とほとんど同じであり、ここでは省略する。
残っている手元の資料から、平成元年度の渡慶次青少年健全育成会の役員及び組織図を掲載する。
4 「子ども会」と「子ども会育成会」
渡慶次子ども会の前身となったのは、1947年(昭和22)5月27日に発足した「少年自治会」(中学生)である(字渡慶次年表より)。残念ながら当時の資料が手元にないが、当時中学生であった人びとの話から、戦後復興へ向けて中学生達も自主的な活動を展開しようとの思いを持った「自治会」としての組織化であった。
さて、本論に入ろう。1977年(昭和52)の「渡慶次子ども会・渡慶次子ども会育成会」の結成大会の資料から、その結成に至る経過等をみることにする。
渡慶次子ども会結成経過−1977年(昭和52)−
4月26日 | 教育委員会より子ども会研究指定を受ける。 |
5月7日 | 学事奨励会会長与那覇※※と会計で子ども会の資料収集へ(字大木・波平子ども会へ) |
5月11日 | 学事委員で子ども会結成を決定。最初は指導者研修で小学5・6年生を対象にして石川少年自然の家へ宿泊研修 |
5月13日 | 会長、会計、山城※※、玉城※※の4名で宿泊研修の日程を決める |
5月19日 | 午後4時補助金申請事務説明会(中央公民館講座室) 午後8時半 子ども会準備委員会宿泊研修にむけての子どもたちの基準要領等、年間事業計画収支予算の検討 宿泊研修 小学5・6年日時:6月11日〜12日石川少年自然の家 |
5月21日 | 午後4時 宿泊研修の会員募集説明会(山城※※) |
5月24日 | 第1回子ども会、会員募集(40名) |
6月1日 | リーダー研修への人選(県立石川少年自然の家) 与那覇※※、山城※※、玉城※※、与那覇※※ |
6月4日 | 育成会リーダー研修参加者(県立石川少年自然の家)仲村渠※※、友江※※ |
6月11日 | 午後3時より小学生5・6年を対象に石川少年自然の家で宿泊研修を行う。 (小学生参加者53名、育成者20名) |
6月12日 | 宿泊研修2日目 |
7月12日 | 子ども会運営講座の申し込み(子ども会4名、育成者4名) |
8月20日 | 子ども会組織の件を話し合う。山城※※に会則等の案作りをお願いする。 |
9月22日 | 小学校父母会出席者36名映写「のびゆく子ども会」 講師 上地※※(村教育委員会) |
10月5日 | 小学校父母会出席者23名 講師 山城※※ 映写「育てゆく子ども会」 |
10月18日 | 子ども会入会申し込み締め切り 62名 |
10月19日 | 子ども会準備委員会6年生(男女)全員集まって子ども会役員選出 7グループに編成指導者として、学事奨励会長与那覇※※、玉城※※、 玉城※※、区長立ち会う。 子ども会 会長 安田※※ 副会長 仲村渠※※・玉城※※ 書記 池原※※ 会計 安田※※ |
10月22日 | 子ども会準備委員会 結成大会期日の件、当日経費の件 |
10月24日 | 子ども会役員会 子ども会行事計画の立案 |
11月5日 | 子ども会準備委員会 育成会役員及び指導部内定 |
11月13日 | 渡慶次子ども会・渡慶次子ども会育成会結成大会 |
この経過から、子ども会の組織化は村教育委員会からの働きかけが大きかったことがわかる。さらに、組織化の中心になって動いたのは、与那覇※※、山城※※、玉城※※、与那覇※※、仲村渠※※、友江※※らであったこともわかる。組織図は下のとおりであるが、子ども会の結成と同時に育成会も組織されていることに注目したい。子どもたちを育成するという立場から、指導部に、総務、行事、奉仕、文化、スポーツ・レクが置かれ、子ども会の自主的な活動をサポートする体制ができているからである。
以下に、会則などを記しておく。
読谷村渡慶次子ども会のきまり
1 私たちの子ども会は渡慶次子ども会といいます
2 この会の目的はみんながいっしょになって遊び助け合うことです
3 私たち子ども会は、この目的のために次のことをおこないます
(1) お互いに力を合わせて仲よくします
(2) お互いにうやまい助け合います
(3) みんなで勉強しあってよい子どもになります
(4) 他人にめいわくをかけず、人のためになることをします
4 私たち子ども会は、字渡慶次の小学生でつくります
昭和52年子ども会・育成会組織図
ただし、3年生までは準会員とします
5 私たち子ども会は次の役員をおきます
(1) 会長1名(子ども会のすべてのことをまとめます)
(2) 副会長2名(会長を助け時には会長の代理もします)
(3) 書記1名(すべての記録をつけます)
(4) 会計2名(会のお金をとりあつかいます)
(5) 班長7名(班からえらび班のまとめ役やれんらく役もします)
6 子ども会の役員は正会員のせんきょによりえらばれます
7 役員の任期は1年とし4月に始まり3月に終わります
8 私たち子ども会の会費は年間500円とします
9 この会のきまりは総会によってかえることができます
10 この会に入会しようとするものは保護者の同意の上申し込みます
11 この会のきまりは昭和52年11月13日から守ります
12 私たち子ども会のことはすべて渡慶次子ども会育成会とれんらくをとり相談します